「10.19決戦」第2戦、時間切れで消えた優勝 梨田昌孝は現役最後の守備には「正直、つきたくなかった」 (4ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Kyodo News

【翌年の近鉄の優勝は「嬉しかった」】

――梨田さんの引退の決意は、この試合を終えた後も変わりませんでしたか?

梨田 この年の前年(1987年)に仰木さんと話した時に「あと1年」という話をしていましたし、迷いはなかったです。でも、この10.19決戦の翌年に仰木さん率いる近鉄が優勝するわけじゃないですか。すごいことをされたなと思いましたよ。

――1年越しの優勝を、どう見ていましたか?

梨田 私はメジャーリーグのワールドシリーズの取材で、成田空港からサンフランシスコに向かう時だったんです。テレビでブライアントの4連発(1989年10月12日、近鉄vs西武のダブルヘッダーでブランアントが4打席連続本塁打を記録)を見てから旅立って、向こうに着いた頃に、近鉄は優勝の祝勝会をやっていたのかな。大石大二郎が仲のいい佐々木修に「佐々木、おまえ何勝したんだ?」と聞いて「1勝です」と佐々木が答えると、大石が「その1勝が優勝に繋がったんだ」と言っていたみたいで。そんなやりとりを、サンフランシスコのホテルで耳にしたのは覚えています。

――その前年があのような最後だっただけに、現役を退いていたとはいえ、喜びもひとしおだったのでは?

梨田 嬉しかったですね。普通は、前年にあれほどボロボロになるまで戦うと蓄積疲労があったりして、次の年にいいパフォーマンスできないことが多いのですが、それを乗り越えての優勝ですから。残念なことに、日本シリーズでは巨人に3連勝した後に4連敗してしまいましたが......。結局、近鉄は最後まで日本一にはなれませんでした。

――年をまたいで、いろいろなドラマが凝縮されていた時期でした。

梨田 近鉄ってそういうチームでしたね。10.19では本当にいい経験をさせてもらいましたし、一方では、今でも「勝ちたかったな」という思いもありますね。

【プロフィール】
梨田昌孝(なしだ・まさたか)

1953年、島根県生まれ。1972年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。強肩捕手として活躍し、独特の「こんにゃく打法」で人気を博す。現役時代はリーグ優勝2 回を経験し、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞4回を受賞した。1988年に現役引退。2000年から2004年まで近鉄の最後の監督として指揮を執り、2001年にはチームをリーグ優勝へと導いた。2008年から2011年は北海道日本ハムファイターズの監督を務め、2009年にリーグ優勝を果たす。2013年にはWBC 日本代表野手総合コーチを務め、2016年に東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。2017年シーズンはクライマックスシリーズに進出している。3球団での監督通算成績は805勝776敗。

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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