中日の元エース今中慎二「カッとなることがなくなった」 巨人との「10.8決戦」の敗戦から得たもの (3ページ目)
【10.8決戦から得た教訓】
――ペナントレースの最後の試合で、勝ったほうが優勝という前代未聞の試合。この試合を経験したことが、今中さんの野球人生に生かされましたか?
今中 生かされたと思います。いい意味でよかったというか......。周りは負けてどうのこうのって言ってきたりしますが、個人的には負けたからこそいろいろなことを学べたという思いもあるので。例えば、「何が起きても、冷静に投げなければいけない」とか、「当たりがよかろうが悪かろうがヒットはヒット」と認めて割り切らないといけない、といったことなどですね。
引きずっても何にもなりませんから。この試合を経験してから、ボテボテの内野安打とかポテンヒットを打たれたりした時にカッとなることがなくなりました。そういうよくない当たりのヒットを打たれても、すぐに切り替えてスッと次のバッターに入っていけたので。
――10.8決戦以降の1995年、1996年も二桁勝利を挙げて(1993年から4年連続で二桁勝利)ピッチャー陣を牽引されていました。
今中 ただ、肩を壊してしまったこともあって、実質1996年までしか投げていませんけどね(引退は2001年。1997年以降は連続二桁勝利が途絶え、2001年までの4年間は4勝にとどまる)。それでも、1995年と1996年は10.8の教訓を生かしたピッチングができましたし、1996年は星野仙一さんが中日の監督に復帰(第二期政権)されたシーズンでもありました。第一期政権の頃と比べて、星野さんに何を言われても冷静にやれていたと思います。
――10.8決戦の経験は、指導者になってからも生かされましたか?
今中 投手コーチを務めた時は、打たれたりした後の"切り替えることの大切さ"を常々説いていました。特に先発ピッチャーは長いイニングを投げるので、打たれたことをずっと引きずっていたら投げられなくなってしまう。みんな性格がバラバラやから難しいんですけどね。
あの試合が自分の野球人生の教訓になったことは間違いないですし、メンタルの部分で相当に勉強できたなと思います。
【プロフィール】
◆今中慎二(いまなか・しんじ)
1971年3月6日大阪府生まれ。左投左打。1989年、大阪桐蔭高校からドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。2年目から二桁勝利を挙げ、1993年には沢村賞、最多賞(17勝)、最多奪三振賞(247個)、ゴールデングラブ賞、ベストナインと、投手タイトルを独占した。また、同年からは4年連続で開幕投手を務める。2001年シーズン終了後、現役引退を決意。現在はプロ野球解説者などで活躍中。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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