江川卓、伝説の球宴8者連続三振 9人目にカーブを投げた瞬間、篠塚和典は「嫌な予感がした」

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

篠塚和典が語る「1980年の巨人ベストナイン」(2)

江川卓 中編

(前編:篠塚の芸術的なインコース打ちは、「別格の速球」を投げた江川卓との対決で生まれた>>)

 篠塚和典氏が語る、1980年代巨人のベストピッチャー・江川卓氏。中編では、江川氏が強打者と対戦する際のピッチングや、1984年のオールスターで記録した8者連続三振のエピソードなどを聞いた。

1984年のオールスターで、近鉄の大石大二郎に9者連続三振を阻まれた江川1984年のオールスターで、近鉄の大石大二郎に9者連続三振を阻まれた江川この記事に関連する写真を見る

【選手時代は「あまり話をするタイプではなかった」】

――江川さんは西本聖さんや定岡正二さんなど、他のピッチャーと楽しそうに話していたとのことですが、チーム内ではどういう存在でしたか?

篠塚 それほど目立つタイプではなかったですし、輪の中心にいる感じではありませんでした。ただ、ピッチャー陣は遠征の時などに部屋に集まって、いろいろな遊びをしていましたよ。

――桑田真澄さんが巨人に入団した時、 "陰気"という理由から「マジックインキ」というあだ名を江川さんがつけたという話を聞いたことがあります。マウンド上では飄々としてクールなイメージがある一方、ユニークな面もあったのですね。

篠塚 そういう一面もあったのかもしれないですし、現役を引退されてからの解説者やテレビ番組の司会者としての姿を見ると、トークがうまいイメージがあると思います。ただ、先ほども言ったように当時はあまり話をするタイプではなかったですね。

 トークがうまくなったのは、やっぱり慣れでしょう。最初からトークが好きだったり得意だったりする人もいると思いますが、江川さんも私と一緒で、どちらかというと話すのは苦手だったと思います。ただ、解説や司会の仕事をこなしてキャリアを重ねていく過程で、徐々に慣れていったんじゃないでしょうか。

――江川さんのピッチングについて、篠塚さんはセカンドの守備位置からそれを見ていたと思いますが、マウンド上の江川さんはどう映っていましたか?

篠塚 スコアリングポジションにランナーがいる時には、グッとギアを入れていました。それと、クリーンナップを迎えた時は気合が入っていましたね。球の速さが1段階、2段階上がるんです。投球モーションに入る時の力のため具合から、そう感じていました。

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