桑田真澄、松井秀喜、坂本勇人......。浅野翔吾に思い出す、巨人「高卒ドラ1ルーキー」の1年目とその後 (3ページ目)

  • 白鳥純一●取材・文 text by Shiratori Junichi
  • photo by Sankei Visual

【辻内崇伸(2005年/高校生ドラフト1位・大阪桐蔭)】

 2005年のドラフト会議で巨人が指名したのは、その年の夏の甲子園で150キロを超える速球を武器に1試合19奪三振をマーク(8月13日・対藤代戦)した辻内だった。

 オリックスとの競合の末に巨人が指名権を獲得。速球を活かしたピッチングに期待が寄せられたが、プロでの8年間は怪我との戦いだった。

 2006年の春季キャンプでは、肩痛の影響で2軍スタート。左肩の炎症によってフレッシュオールスターゲームの出場を辞退するなど、思うように投げられない日々が続いた。この年の辻内はイースタンリーグで13試合に登板したものの、制球難もあって3勝4敗、防御率6.04の成績に終わった。

 翌2007年には内側側副靭帯を断裂。手術の影響により、その後は2年にわたって公式戦の登板がなかったが、復帰した4年目の2009年には2軍の先発として16試合に登板。7勝4敗、防御率2.69の成績を残した。この年の辻内は、ルーキーイヤーに辞退せざるを得なかったフレッシュオールスターゲームへの出場も果たし、勝利投手に輝いている。

 度重なる怪我に苦しめられた辻内が、最も1軍に近づいたのは2012年のことだった。西武とのオープン戦で1軍初登板を果たすと、8月16日に自身初の1軍昇格。だが、登板の機会は訪れず、そのまま登録を抹消された。2013年には再発した肘の痛みの影響により、現役引退を決意。引退後は女子野球の埼玉アストライアなどで監督を務めた。

【坂本勇人(2006年/高校生ドラフト1位・光星学院高校)】

 2006年度のドラフト会議で堂上直倫(中日)の指名権を逃した巨人は、外れ1位で坂本を獲得。するとルーキーイヤーから1軍戦出場を果たすなど、チームの中心選手として成長を遂げていく。

 プロ1年目の2007年に2軍戦で77試合に出場し、打率.268、5本塁打、28打点という成績を残して7月に1軍に昇格。7月12日の阪神戦の代走で初出場し、9月6日の中日戦では代打で登場すると、決勝打となる初安打と初打点を記録した。

 この年は1軍で4試合に出場して1安打だったが、2年目の2008年にはレギュラーに抜擢され、開幕から全試合にスタメンで出場。打率.257、8本塁打、43打点で、オールスターゲーム初出場も果たした。

 その後、巨人の中心選手として活躍し、2016年にはセ・リーグの遊撃手としては史上初となる首位打者のタイトルを獲得。2020年には、右打者としては最年少の31歳10カ月で2000本安打を達成した。17年目の今シーズンは、不振から調子を上げてきた6月23日の広島戦で右太もも裏を肉離れして戦線離脱。7月28日の中日戦で1軍に復帰している。

3 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る