桑田真澄、松井秀喜、坂本勇人......。浅野翔吾に思い出す、巨人「高卒ドラ1ルーキー」の1年目とその後 (2ページ目)
【松井秀喜(1992年・星稜)】
巨人やニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜は、ルーキーイヤーの1993年から持ち前の長打力を発揮した。
1992年のドラフト会議で、同年10月に2度目の監督就任が決まった長嶋茂雄監督が、4球団競合の末に松井の交渉権を引き当てた。翌年、松井はオープン戦では思うような結果が残せずに2軍で開幕を迎えたものの、5月に1軍に初昇格を果たすと、公式戦初出場となった5月1日のヤクルト戦で初安打、初打点をマーク。翌2日には高津臣吾からプロ初本塁打を放ち、その存在感を見せつけた。
その後は不振に陥り、6月に一度2軍落ち。しかし8月末に再昇格を果たすと、復帰間もない8月31日の横浜戦で、この年の最多勝を手にした野村弘樹から2打席連続アーチを記録した。
シーズン終盤に本塁打を量産した松井は57試合に出場し、打率.223、11本塁打、27打点でルーキーイヤーを締め括った。なお、この年に松井が記録した11本塁打は、いまだにセ・リーグの高卒新人記録となっている。
【原俊介(1995年・東海大相模)】
仁志敏久(日本生命)、清水隆行(東洋大)らも指名された1995年のドラフト会議で、巨人の1位指名を受けたのは、強肩・強打の捕手として活躍が期待された原だった。
この年のドラフトでは、夏の甲子園で注目を集めた福留孝介(PL学園)に7球団の指名が集中。巨人も「巨人と中日以外は社会人に進む」ことを明らかにしていた福留の獲得を目指したが交渉権の獲得には至らず、外れ1位で原を指名した。
原は大きな期待を背負って入団したものの、度重なるコンバートや阿部慎之助(2000年ドラフト1位・中央大)が捕手のレギュラーを掴んだ影響もあり、2軍で過ごすシーズンが続く。1軍デビューを果たしたのは、原がプロ入り8年目を迎えた2003年のことだった。開幕2戦目の中日戦(3月29日)で初出場を果たすと、翌30日には、中日の野口茂樹から東京ドームの看板を直撃する初本塁打をマーク。この年は3本塁打を放って存在感を示した。
だが、その後は再び大半を2軍で過ごすシーズンが続き、2006年に自由契約となった。引退後の原は、早稲田大学の通信教育課程に進学。東海大静岡翔洋高校野球部の監督を経て、2021年からは母校である東海大相模の硬式野球部の監督に就任し、後進の指導にあたっている。
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