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広島の元エース川口和久が鳥取で農業に励む理由〜カープ入団の経緯と飛び込み営業の思い出 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • 写真●本人提供

【金田正一からの直電】

── 鳥取での暮らしについてまだまだお話をうかがいたいのですが、そろそろ野球についておうかがいします(笑)。鳥取城北高校時代、当時ロッテの監督だった金田正一さんから熱心に口説かれたという話を聞きましたが、詳しく教えていただけますか?

川口 たぶん、スカウトから話がいったんだと思いますけど、金田さんから直接お電話をいただきました。いきなり「金田と言います」ってかかってきて、「えっ、金田さんですか!」っていう感じでした(笑)。「川口くんをドラフト1位で指名しようと思うんだけど、うちに来る気はあるか?」って。

── それで、何と答えたんですか?

川口 「僕は体力的にも精神的にも、まだプロのレベルではないので、社会人で経験を積んでから誘っていただけないでしょうか」と言いました。「それが君の気持ちなんだね」って言ってもらったんですけど、「でも、もしも考えが変わるといけないからドラフト6位で指名する。もちろん、1位と同等の契約金を出すから、ぜひ来てほしい」と言われました。でも、当時の規定だと一度指名されると3年間はプロに行けないので、僕としては指名してほしくなかったんですけど......。

── しかし、1977年ドラフトではロッテから6位指名を受けました。

川口 それでも、やっぱりプロでやっていく自信はなかったので、鳥取西高校出身の監督が率いるデュプロに進むことにしました。デュプロというのは印刷会社なんですけど、全然野球に専念する環境ではなかったですね。昼間はカタログをカバンに詰めて1日30件の飛び込み営業。夕方5時の終礼までに会社に戻って、その日の報告をしてから、ようやく屋上の部室でユニフォームに着替える。当時、会社は大阪だったんですけど、天神橋筋六丁目から中之島公園までランニングをして、会社屋上のブルペンで投げて......。

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