広島の元エース川口和久が鳥取で農業に励む理由〜カープ入団の経緯と飛び込み営業の思い出 (2ページ目)
── 還暦を過ぎてから、まったく環境の違う新しい世界に飛び込んでいくことに対する不安はなかったのですか?
川口 僕は「野球」という世界で39歳まで現役を続けて、その後は指導者として、解説者として、やはり野球の世界で生きてきました。その間、広島に住み、関東に住みました。でも、還暦を迎えて、そしてコロナという非常事態を迎えた時に、僕も女房も関東での生活に何らかの違和感を持ったんです。そんな頃に、母の見舞いで鳥取に何度も行っているうちに、地元の人たちの優しさだったり、魚や野菜の美味しさだったり、物価の安さだったり、いろいろな魅力に触れて決断しました。だから、僕としては新しい世界に飛び込む不安はなかったですね。
── 川口さんが育てているのは、鳥取のブランド米「星空舞」だとうかがいました。お兄さんからのアドバイスがあるとはいえ、未経験者がいきなりつくれるものなのですか?
川口 米づくりを決めた頃に、平井伸治県知事から「とっとりへウェルカニスポーツ総合アンバサダー」に任命され、その時に「ぜひ星空舞をつくってほしい」と言われたことがきっかけでした。休耕田だったので、土地に栄養があったのはいいんだけど、逆に育ちすぎてしまっていろいろ苦労しました。耕地面積は二反三畝(約690坪)なんです。普通はそれぐらいの広さなら1100キロぐらい穫れるそうなんですけど、1年目は800キロの収穫でした。
── 元プロ野球選手へのインタビューというよりは、お米の生産者の方にお話を聞いているような錯覚を覚えます(笑)。
川口 お米をつくるにはトラクターと田植え機とコンバインがあればいいんです。この3つを新車で買えば300〜400万円はするんですけど、トラクターは兄貴のものを借りて、2年目の今年はひとまずトラクターと田植え機を買いました。去年は真っすぐ田植えすることはできなかったけど、今年は真っすぐ整然と植えることができました。何事も初めて経験することは楽しいですよ。
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