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巨人のドラ1指名を喜べなかった篠塚和典が「ミスターに恥をかかせちゃいけない」と思った瞬間 監督退任時には「自分もやめます」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【伊東キャンプでつらかったことは「全部」】

――伊東キャンプはプロ入り4年目で、篠塚さんもまだ一軍には定着していませんでした。

篠塚 2年目に一軍に上がりましたが、その後はずっと一軍と二軍を行ったり来たりしていました。V9メンバーの王貞治さんや柴田勲さん、土井正三さん、高田繁さんもいましたし、自分の実力も足りなくてなかなか一軍に定着できませんでしたね。

 ただ、伊東キャンプが終わったあとぐらいからは、これは「来年からやっていけそうだ」という雰囲気をミスターが作ってくれました。伊東キャンプに行ったメンバーは、翌年(1980年)にはある程度試合に出ることができて、1981年からは「よっしゃ!俺たちがこれからの巨人を引っ張っていくんだ」と気合いが入っていましたよ。

 でも、1980年のオフにミスターが退任してしまって......。モチベーションが下がりましたね。ミスターが監督を務められているうちに活躍できず、すごく情けないというか......。退任はテレビのニュース速報などで知ったんですが、その後にミスターに電話をかけたんです。僕はすごく気落ちしていたので、「自分もやめます」と言っちゃったんですよ。

――それを聞いた長嶋監督は?

篠塚 「バカ言ってんじゃないよ」と言われました。今思えば、なぜあんなことを言ったのかな......。やめて何かができるわけでもないですしね。ミスターからは「伊東でやったメンバーは、これからの巨人を引っ張っていかなければいけない。今までやってきたことは間違っていないし、しっかり頑張れ」と。その言葉のおかげで、難しかったですが気持ちを入れ替えることができたんです。

――伊東キャンプでは何が一番つらかったですか?

篠塚 全部です(笑)。毎日暗くなるまで練習していました。朝はそんなに早くないんですが、開始が9時、9時半くらいからで、終わるのは夕方の6時くらいだったと思います。馬場の平という場所にある、オートバイのモトクロス場として造られた起伏の激しいコースを走ったりしていましたが、本当にきつかったです。

――その練習が血となり肉となり、その後の糧になった?

篠塚 そうですね。体力面はもちろん、自信もつきました。伊東キャンプに入る前に、ミスターが「ここに来ているメンバーが、これから10年、15年と巨人を支えていく。それを期待して取り組むキャンプなんだ」と言っていましたし、結果的にそうなっていきましたね。

(中編:ルーキー原辰徳がセカンド→控えの篠塚和典に長嶋茂雄が「腐るなよ」>>)

【プロフィール】

篠塚和典(しのづか・かずのり)

1957年7月16日、東京都豊島区生まれ、千葉県銚子市育ち。1975年のドラフト1位で巨人に入団し、3番打者などさまざまな打順で活躍。1984年、87年に首位打者を獲得するなど、主力選手としてチームの6度のリーグ優勝、3度の日本一に貢献した。1994年に現役を引退して以降は、巨人で1995年~2003年、2006年~2010年と一軍打撃コーチ、一軍守備・走塁コーチ、総合コーチを歴任。2009年WBCでは打撃コーチとして、日本代表の2連覇に貢献した。

著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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