巨人のドラ1指名を喜べなかった篠塚和典が「ミスターに恥をかかせちゃいけない」と思った瞬間 監督退任時には「自分もやめます」 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【スカウトの反対を押しきった強行1位指名】

――それを聞いてどう思いましたか?

篠塚 『巨人の星』の漫画やアニメを見て育っていたので、「練習がきつそうだな」と脳裏をよぎりました。先ほど話したように、病気のこともあって不安でした。プロに行くならノンプロでしっかりと体を鍛えてから、という考えもあったので、「高卒でプロに行ったら、体を鍛える時期がなくなっちゃうのかな」とも思いました。

 ただ、親や周囲の人たちは、「巨人が指名してくれるなら、絶対に行くべきだ」と言っていましたね。結局、プロに行くのか行かないのか、気持ちの整理はつかないままでした。

――指名された瞬間の状況はどうでしたか?

篠塚 当時は、ドラフト会議が開催される時間が早かったんです。午前中から始まっていたので、ちょうど授業中でした。今みたいに、ドラフト会議の中継などを見るということはなく、ドキドキしながら授業を受けていたら......「ピンポンパンポーン」って、いきなり校内放送が流れたんです。

 それで、「ドラフト会議で、当校の篠塚利夫(現和典)選手が読売ジャイアンツから1位で指名されました」と。周りはワーッと盛り上がっていましたが、僕はそんなに喜べませんでした。やっぱり体のことが心配でしたからね。

――しかも、1位指名となると大きな期待がかかってきます。

篠塚 僕自身は1位で指名されることはないと思っていたんですけどね。それで、数日後にミスターが指名の挨拶で家に来たんです。何を言うのかなと思ったら、「俺の考えでは、まず3年間はファームでみっちりやってもらう」と言われて、気持ちがちょっとラクになりました。しっかりと鍛えられる時間が取れることは安心材料になりましたね。

――1位で指名されるとは思っていなかったんですね。

篠塚 ドラフト会議当日の新聞には、中畑清(駒澤大)さんが1位という記事が出ていましたからね。あと、ドラフト会議から半年も経たないうちに聞いた話なんですが、ドラフト会議当日に自分の名前は挙がっていなかったらしいんです。(篠塚の1位指名は)スカウトは反対していたらしく。

 そこをミスターが「俺が責任をとるから」と言って1位で指名したみたいで、周りはびっくりしていたようです。その話を聞いてからですよ。「これはもう、ミスターに恥をかかせちゃいけない」という思いが生まれたのは。その思いでずっと僕はやってきましたし、(1979年の)伊東キャンプもきつかったですが、その思いが支えになったんです。

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