中日・ロドリゲスの亡命騒動で思い出す「お騒がせ助っ人たち」の迷言、奇行、武勇伝... (4ページ目)
巨人では0勝に終わったエリック・ヒルマンこの記事に関連する写真を見る
【肩に小錦が乗っている】
エリック・ヒルマン(巨人)
1996年、最大11.5ゲーム差からの逆転優勝で「メイクドラマ」を完結させた巨人は、オフに飽くなき巨大補強を施す。打者では清原和博、石井浩郎、投手ではエリック・ヒルマンの獲得に成功した。
ヒルマンは95年、ロッテに入団。左腕から繰り出すスライダーとシンカーのコンビネーション、さらに208センチの長身から投げ下ろすストレート。ボビー・バレンタイン監督のもと、伊良部秀輝、小宮山悟らとともに先発三本柱のひとりとして12勝を挙げる活躍を見せ、長年低迷が続いていたロッテを2位に躍進させた立役者となった。
ヒルマンは翌年も14勝をマークしたが、球団が伊良部にタイトルを獲らせようと投手陣のスケジュールを調整したことに激怒し退団。巨人に移籍することになる。
97年、巨人に移籍したヒルマンだが左肩を痛めた。最初は「左肩に違和感がある」「ナイフが刺さっているように痛い」と繰り返していたが、言うに事欠いたのが「肩に小錦が乗っているようだ」と発言。ちなみに小錦とは、97年を最後に引退した体重275キロ(当時)のハワイ出身の名力士である。
結局、97年は2試合の登板に終わり、オフに手術。98年は未登板で、さすがの渡辺恒雄オーナーも「金はやるから出て行ってくれ」と憤慨。当の本人は「ミッチェルやグリーンウェルと一緒にしないでくれ」と弁明したが、結果的に2年間で投げたのは6イニング。それでもちゃっかり5億円は獲得した。
4 / 5