石毛宏典が語る、東尾修との特別な信頼関係 ピンチでマウンドに行くと「お前がしっかり打たんからじゃ」

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

石毛宏典が語る黄金時代の西武(6)
東尾修 後編

(前編:デッドボールにも「なんで謝る必要があるんだ」ガキ大将な気質、激攻め投球が生まれた理由>>)

 内角を突く強気のピッチングで通算251勝を挙げるなど、長らく西武のエースとして活躍した東尾修氏。西武の指揮官としても2度のリーグ優勝を果たしたが、選手時代や監督時代の東尾氏とのエピソードを、当時のチームメイトである石毛氏が語った。

マウンドで話す西武時代の石毛氏(左)と東尾氏マウンドで話す西武時代の石毛氏(左)と東尾氏この記事に関連する写真を見る

【監督時代に見せた「見事」な手腕】

――東尾さんは、1995年から西武の監督に就任されました。石毛さんは1994年のオフにFAでダイエーに移籍していましたが、敵チームの指揮官としての東尾さんをどう見ていましたか?

石毛宏典(以下:石毛)トンビさん(東尾の愛称)は、野手に関しては打撃コーチとして招聘した土井正博さん、翌年はヘッドコーチとして招聘した須藤豊さんらに託していました。自分が専門としてこなかった分野を、コーチ陣に任せるのもひとつのやり方ですからね。

 ピッチャーに関しては、やはり選手を見る目に優れているので、松坂大輔をはじめ、西口文也、石井貴、豊田清ら多くの名投手を育てました。

――東尾さんは現役時代、広岡達朗監督や森祇晶監督のもとでもプレーされていましたが、選手起用や采配面などから「常勝イズム」を感じることはありましたか?

石毛 森さんのあとに監督に就任され、「広岡・森野球」が浸透しているメンバーを率いた。その野球によって西武は勝ってきたので、それをそんなに大きく方向転換するようなことはなかったんじゃないかと。

 ただ、リーグ2連覇(1997年、1998年)を果たした時は、打つほうでは1番に定着した松井稼頭央をはじめ、大友進や髙木大成......投げるほうでは西口文也ら若手主体で優勝に導きました。そこに、潮崎哲也や鈴木健といったベテランを融合させた手腕は見事でしたね。

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