源田壮亮が球界ナンバーワン遊撃手になるまでの知られざる過去「幻に終わった育成指名」「社会人1年目の大挫折」 (3ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Ohtomo Yoshiyuki

【二人三脚の猛特訓】

 それが2年目を前にした時の面談で、源田の目の色が変わっていて、乗田氏も驚いた。

「本気で変わろうとしているのが伝わってきたんです。『プロを目指したい』と言う彼の目が違っていました。『守備で勝負したいから、もう一度、基礎から付き合ってください!』と。もちろん社会人野球はチームの勝利が第一の目標なんですけど、そこまで言われたら応援してやりたくなるじゃないですか」

 そこから源田と乗田氏の"真剣勝負"が始まった。

「もう、むちゃくちゃ練習しました。1年目の源田は捕球ミスが多かった。グラブを上から下に落とすような使い方だったので、社会人の打球スピードに負けて......正面の打球をトンネルなんて場面もありましたから、そこは徹底的に直しました。たとえば、股割りの低い姿勢のまま、正面の緩いゴロを捕るのを100球。それを4セットとか」

 野球の技術は日進月歩で、科学という側面から合理的に進歩しているが、技術を身につけるとなると、やはり"反復"に勝るものはない。

「サイドステップのペッパーに、前後に開脚させた姿勢で低いボールを捕球する。股関節の柔らかさと強さを養成したかったんです。そうした"地味な練習"にとことん時間をかけました」

 さらにそこからノックが始まって、基礎練習と合わせて、守備練習だけでも毎日3時間から4時間。

「ノックボールは1ケースに120球くらい入っているのですが、それを4、5ケース。昔の1000本ノックみたいに追いつけないところに打ち込むむちゃくちゃなノックじゃありませんよ(笑)。三遊間、二遊間のギリギリ捕れるエリアに打って、フットワークを鍛える。さらに前の緩いゴロを捕球して、ランニングスローで一塁へ送球する。その繰り返しです」

【1年間、公式戦ノーエラー】

 源田の"変身"は、チーム内に思わぬ相乗効果をもたらした。

 内野の選手たちが「我も我も」と源田の"特訓"に加わり始めた。

「源田の2年目の夏は、彼の活躍もあって、都市対抗に出場して優勝もできたんですけど、チームとしての目標だった"優勝までの全5試合ノーエラー"を達成できたのも、源田がその流れをつくってくれたわけで、もっとすごいのは彼自身ですよ。2年目の公式戦ではノーエラーでしたから」

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