西武ヘッドコーチ平石洋介にとって松井稼頭央は「怒らせたらあかん人」から「尊敬できる先輩」「上司」「仲間」となった (4ページ目)
ヘッドコーチとは「チームのナンバー2」でありながら、バランス感覚の難しい役職だ。監督の意向を咀嚼(そしゃく)して、ほかのコーチ陣や選手に落とし込まなければならないし、現場の状況を先読みしてチームを導き、監督の負担をできる限り減らさなければいけない。そんな立場の松井の苦悩を、平石は感じとってもいた。
「どっちかって言ったらカズさん、遠慮していたと思うんですよ。本当にやさしい方なんで、相手の気持ちを考えていたんでしょうね」
その松井が今シーズン、満を持して監督としてチームを指揮する。
気心を知り、指導者としても認められている平石がヘッドコーチに昇格し、チームには現役時代から松井の生き様に触れてきた者も多い。そういう環境だからこそ、新監督はリミッターを外して自分の野球をオープンに貫けるのではないか? そんな期待が膨らむ。
「そうっすねぇ」。平石は納得したような目を向けるが、そんな理想論ではなく、一軍監督経験者としてこう語る。
「監督って戦績によって世間の目が変わるし、周りから勝手にイメージをつくられることもある。とにかく孤独なんです。そうさせないためにも、監督には遠慮なくやりたいようにやってほしいし、コーチや選手もそれに対応できるための準備をしなければいけない。監督の一番の仕事って"決断"なんで。その邪魔だけは絶対しないようにサポートします」
聞くまでもないとはいえ、どうしても聞いておきたいことがあった。「平石洋介にとって、松井稼頭央とはどんな存在か?」と。
平石が間髪入れずに答える。言葉の抑揚が、うれしそうに弾んでいるようでもあった。
「まずは尊敬できる方ですよね。年上ですし、同じ高校出身の先輩でもあるし。指導者としては同志ですけど、今年から明らかに上司になりますしね。でも、場合によっては仲間になってくれたりね。いろんな関係性を受け入れてくれる人ですから、カズさんは」
平石洋介(ひらいし・ようすけ)/1980年4月23日、大分県生まれ。PL学園では主将として、3年夏の甲子園で松坂大輔擁する横浜高校と延長17回の死闘を演じた。同志社大、トヨタ自動車を経て、2004年ドラフト7位で楽天に入団。11年限りで現役を引退したあとは、球団初の生え抜きコーチとして後進の指導にあたる。16年からは二軍監督、18年シーズン途中に一軍監督代行となり、19年に一軍監督となった。19年限りで楽天を退団すると、20年から2年間はソフトバンクのコーチ、22年は西武の打撃コーチとなり、23年に西武のヘッドコーチに就任した。
著者プロフィール
田口元義 (たぐち・げんき)
1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。
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