平石洋介が西武のコーチになって気づいたこと。「山賊打線を基準にしてしまうとチームとしてよくない」 (4ページ目)

  • 田口元義●文・写真 text & photo by Taguchi Genki

 そんな声を耳にした愛斗から相談を受けた平石が、「それなら、試しにバットを短く持ってみたらどうだ?」と対話するようになった。実践してバットを操作しやすいと感じながらも、こだわりを捨てきれず再びバットを長く持って打席に立つ。そんな葛藤する愛斗に、平石は諭すように言った。

「おまえが絶対に長く持ちたいんやったらそれでいいんやぞ。でもな、短く持って新たな発見があったやろ? 球が速いピッチャーの真っすぐにバットを長く持ってタイミングが合わないんやったら、短く持てば対応できるかもしれない。逆に短く持って変化球で打ちとられるようなら、長く持ったほうがボールを捉えられるかもわからん。そこは柔軟な考えで工夫しながら打席に立てばいいと思う」

 このような苦悩を経て、愛斗は少しずつ前に進んだ。でもね----平石がそう念を押すように言葉をつなげる。

「高山(久)コーチが毎日、愛斗の練習につき合って技術的な指導を根気強くした。これもね、愛斗にとってすごく大きかったんです」

 愛斗は昨シーズン、121試合に出場して9本塁打とキャリアハイの成績を残し、打率も2割4分3厘と改善の兆しを見せた。

「打席での考え方は、最後のほうにやっと、ちょっとは変わってきたかなって」

 そう言って平石は目じりを下げるが、指導者として「愛斗を育てた」などと微塵も思っていない。彼の意志で自立の一歩を踏み出したに過ぎないのだ。

「自分が教えたからよくなった......どうでもええわ! そんなもん。選手がいい方向に進んでくれる、チームがよくなって勝っていくためにコーチ、スタッフみんなで協力していくことが大事じゃないですか」

 指導者としての平石洋介はまったく変わっていない。楽天の監督に就任した2019年もそうだった。

「監督としての僕の評価なんてどうだっていい。一番はチームが勝つこと。そのために自分ができることをやるだけなんですよ」

 自分よりチームのために選手と向き合う。それが、結果として平石の高い評価につながる。

 昨シーズン終了後、平石は西武のヘッドコーチに昇格した。

「ヨウ、よろしく頼むな」

 新監督となった松井稼頭央からの期待に、平石はまた「チームのために、稼頭央さんのために」と、他者のために気持ちを昂らせた。

中編につづく>>

平石洋介(ひらいし・ようすけ)/1980年4月23日、大分県生まれ。PL学園では主将として、3年夏の甲子園で松坂大輔擁する横浜高校と延長17回の死闘を演じた。同志社大、トヨタ自動車を経て、2004年ドラフト7位で楽天に入団。11年限りで現役を引退したあとは、球団初の生え抜きコーチとして後進の指導にあたる。16年からは二軍監督、18年シーズン途中に一軍監督代行となり、19年に一軍監督となった。19年限りで楽天を退団すると、20年から2年間はソフトバンクのコーチ、22年は西武の打撃コーチとなり、23年に西武のヘッドコーチに就任した。

プロフィール

  • 田口元義

    田口元義 (たぐち・げんき)

    1977年、福島県出身。元高校球児(3年間補欠)。雑誌編集者を経て、2003年からフリーライターとして活動する。雑誌やウェブサイトを中心に寄稿。著書に「負けてみろ。 聖光学院と斎藤智也の高校野球」(秀和システム刊)がある。

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