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門田博光と村田兆治の名勝負は「うらやましかった」。星野伸之が振り返る「170cmの大打者」との対戦とその素顔 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

――門田さんは身長170cmとプロ野球選手としては小柄でしたが、マウンドから見る姿はいかがでしたか?

星野 大きく見えましたね。背は高くないですが恰幅がよく、スイングが描く弧が大きいというか、バットが長く感じました。威圧感がありましたし、「これぞ4番バッター」という体型とスイングだったと思います。

――同じチームの時に話す機会はありましたか?

星野 野手と投手なのであまり接点はなかったのですが、食事会場でたまたまテーブルが一緒だった時が一度だけありました。その時、門田さんは「練習ではダウンスイングをするんだけど、試合でピッチャーのボールを打つ時は、歩幅が広くなるからレベルスイングになる」といった、バッティングの話をされていた記憶があります。「なるほど」と思いながら聞いていました。

――引退後に門田さんとお話される機会や交流などはありましたか?

星野 僕は基本的にオリックスと阪神を視察することが多いのですが、ここ何年かは挨拶する機会もありませんでした。門田さんがそこに来られる機会がなかったのか、たまたますれ違って会えなかったのかはわかりません。僕がコーチ業に携わっている時に、もしかしたら球場などに足を運んでいたのかもしれませんが、野手の側にいたのかもしれませんし......。

 そもそも一緒のチームでプレーしたのは2シーズンだけで、その後にダイエー(現ソフトバンク)に復帰されましたからね。やっぱり最後は、自分がプロ野球選手として育ったところでプレーしたいんだな、とすごく感じました。

 1989年に南海がダイエーに買収され、本拠地が福岡に移転することになった時も、「お子さんが進学するまでは家族と一緒にいたい」といった理由で(南海と同じ)関西が本拠地のオリックスに移籍したと聞いていました。それほど、南海に愛着があったんだなと。

――門田さんの人柄、振る舞いはいかがでしたか?

星野 その時代を代表するバッターでしたし、風格を感じました。一方で、一緒に行動を共にすることが多かったトレーナーを"カブトムシくん"というあだ名で呼んだりもしていましたね。そのトレーナーの方には悪いのですが、"カブトムシくん"と言われているのを見ると、不思議とそんな感じがしてくるんです(笑)。

見た目などを含めて、人を観察するのがうまい方なんだろうなと思っていました。野球をしている時の目つきや雰囲気は近寄りがたかったのですが、「門田さんにもそういう一面があるんだな」と親しみを感じた瞬間でしたね。

【プロフィール】

星野伸之(ほしの・のぶゆき)

1983年、旭川工業高校からドラフト5位で阪急ブレーブスに入団。1987年にリーグ1位の6完封を記録して11勝を挙げる活躍。以降1997年まで11年連続で2桁勝利を挙げ、1995年、96年のリーグ制覇にエースとして大きく貢献。2000年にFA権を行使して阪神タイガースに移籍。通算勝利数は176勝、2000三振を奪っている。2002年に現役を引退し、2006年から09年まで阪神の二軍投手コーチを務め、2010年から17年までオリックスで投手コーチを務めた。2018年からは野球解説者などで活躍している。

著者プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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