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斎藤佑樹「自信過剰だった僕でも、こりゃ、出来すぎだな」。大学1年春のリーグ戦で優勝、ベストナインを獲得した (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 そのためには、まずスピードをもっと上げなければなりません。プロで活躍していた松坂大輔さんのように、150キロのストレートを投げて、変化球もスライダー、フォーク、チェンジアップを自在に操る、多彩なピッチングがしたかった。そこへ行きつくためには当時、アベレージで145キロも行かないくらいだったスピードを、140キロ台の後半には上げたいと思っていました。

 春のシーズンはけっこうツーシームを使いましたが、当時の僕からしたらそれは本意ではありませんでした。本当はフォーシームが7割、あとの3割が変化球くらいのイメージでいたかったんです。でもツーシームが思ったよりもよかったこと、細山田さんにリードを任せっきりだったこともあって、そういうピッチングになっていました。

 細山田さんは当然、大学野球をよくわかっていますし、細山田さんの配球に1年の僕が首を振ることはほとんどなかった。実際、細山田さんのリードどおりに投げていれば打ちとれていたから、いつしか大学野球は変化球が多くないと打ちとれないんだなという感覚にもなっていました。

 もちろん、いくら自信過剰だった僕でも、こりゃ、さすがに出来すぎだなという気持ちはあったんですよ(笑)。その時には言葉のレパートリーも少なくて、なんでもかんでも「運があった」「持ってる」なんて言い方でまとめてしまいましたが、心のなかでは先輩たちに助けてもらったという感謝があって、だからこそもっと完投、完封を重ねて、エースとしてチームを引っ張っていかなきゃいけないという想いになっていたわけです。5回とか6回で代わって先輩たちに助けてもらうんじゃなく、ちゃんと完投して、土曜を絶対にとる......仮に日曜に負けても、僕で月曜をとる。春に優勝したからこそ、そういうピッチャーでなければならないと思っていました。

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 1年春、斎藤は開幕から無傷の4連勝で早大に39度目の天皇杯をもたらした。しかも投手部門で東京六大学リーグ史上初となる1年春のベストナインに選出される。夏の甲子園を熱狂させた"ハンカチ王子"は、神宮でもその輝きが色褪せていないことを示したのだ。明治神宮絵画館前から早大正門までの"提灯行列"は、じつに2000人にも膨れ上がった。

(次回へ続く)


斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日生まれ。群馬県出身。早稲田実業高のエースとして、2006年夏の甲子園において「ハンカチ王子」フィーバーを巻き起こし、全国制覇。早稲田大進学後も東京六大学リーグで活躍し、2010年にドラフト1位指名で北海道日本ハムファイターズに入団。1年目から6勝を上げ、2年目は開幕投手も務めた。ケガに悩まされて2021年シーズンで引退。株式会社斎藤佑樹を立ち上げて、野球の未来づくりにつながるさまざまな活動を開始した。

著者プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

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