斎藤佑樹「自信過剰だった僕でも、こりゃ、出来すぎだな」。大学1年春のリーグ戦で優勝、ベストナインを獲得した (2ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 土曜は須田さんが先発しましたが、早稲田は初黒星。優勝はその次の日、日曜の2回戦へ持ち越しとなりました。で、先発は僕です。すごいですよね......生意気な言い方になりますが、自分を鼓舞する意味でもひとつあったのは、開幕投手をやらせてもらって、その後、立教、法政、明治と戦っていくにつれて、どこかで自分のチームだと思えるようになってきたんです。最初は先輩に迷惑をかけないよう、ただ先輩についていくことだけを考えていたんですが、いつしか僕がこのチームを優勝させるんだという感覚になってきていました。

【オレが優勝を決めてやる】

 それがまさに、優勝がかかった早慶戦で自分に順番が回ってきた。『よし、オレが優勝を決めてやる』という気持ちで迎えた日曜日でした。あの早慶戦の空気のなかで自分の気持ちが盛り上がらないわけはないので、あえて何もせず、試合前も普通に過ごしていたと思います。

 日曜は土曜よりもさらにたくさんのお客さんが入っていました(3万6000人)。あの時の慶應には3番に梶本(大輔)さん、4番に佐藤翔さんが並んでいて、左の梶本さんには大学に入って投げ始めたツーシームで、右の佐藤さんにはインコースの真っすぐとスライダー、フォークで勝負するイメージで投げていました。

 当時の僕はいわゆる右のパワーヒッターを抑えるのは得意でしたが、左の巧いタイプにはうまく拾われる感じがあって、あの試合でも梶本さんには苦労した印象があります。

 それでも立ち上がりから、あまり打たれた記憶はありません(5回まで1安打無失点)。味方が打ってくれたこともあって(4回までに8得点)、ピッチングのことはほとんど覚えていないんです。

 えっ、6回に4失点? そうでしたっけ......ああ、右バッター(高橋玄)の頭にぶつけて、次のバッター(右の松橋克史)のヒジにも当てて、押し出しのデッドボールになったんでしたね。あの回、急に身体が軽くなって空回りした感じがあったのかな。それと慶應の右バッターがベースに近づいて立ってきたので、あえてインコースを攻めたんです。そこは自分のピッチングの生命線でしたし、僕もムキになっていたのかもしれません(笑)。

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