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斎藤佑樹「自信過剰だった僕でも、こりゃ、出来すぎだな」。大学1年春のリーグ戦で優勝、ベストナインを獲得した (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 6回を投げ終えたところ(104球、被安打4、与四死球5、奪三振8、失点4)で松下(建太)さんに交代、9回は初戦に先発した須田さんがマウンドに上がりました。あれは應武(篤良)監督ならではのエースに対する配慮なんだろうなと思いました。優勝の瞬間のことはよく覚えています。須田さんがマウンドにいて、9−5とリードは4点(須田が1点をとられた)。

 僕は松下さんと一緒にベンチの一番前にあったバットケースに乗っかって、前のめりです。僕も松下さんも投げ終えて、お祭りに加わるだけ。いつもなら4点とられれば悔しいし、あの時にこうしておけばよかった......なんてことを考えるんですが、松下さんは(2回を)ゼロに抑えて、僕らはやっとこのお祭りに加われると思った瞬間だったんです。そもそも松下さんはお祭り男でしたから、「一緒にワーッと行きたいな」と思っていました。

【盤石のスーパースター軍団】

 夏の甲子園では最後(決勝)が2試合ありましたから、ものすごく苦しみながら何とか手にした優勝でした。でも神宮での優勝は、入学してすぐの春、早慶戦というお祭りのなかで、先輩たちに引っ張られながらも自分も加わってつかみとった優勝......正直、大学ってこんなふうに優勝できるんだな、と思っちゃった瞬間でもありました。早慶戦までの8試合は全勝、それも立ち上がりに先輩たちが大量点をとって、ラクに勝つ展開が多かったんです。早慶戦では1つ負けましたが、春のシーズンが始まってから『早稲田って強いな』と、ずっと思っていました。

 主将で4番の田中幸長さん、5番にサードの小野塚(誠)さん、ショートの本田(将章)さんというすごい選手がいて、その1個下には上本(博紀)さん、須田さん、松本啓二朗さん、細山田(武史)さんがいた。僕らからしたら盤石のスーパースター軍団です。たぶん自分たちの代まで4年間、ずっとラクに勝てるんだろうなって、そんなことまで思ってしまうほどの強さでした。

 ただ、ピッチャーとして満足していたわけではありません。甲子園で勝ってからの僕は、自分ではコントロールできない流れにも乗って、実力以上の運に恵まれたところもありました。その運を使いきる前に、何とか実力をつけたいという気持ちがありました。

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