初代キャスター・佐々木信也が語る『プロ野球ニュース』の舞台裏。「1回の出演料は?」「珍プレー好プレー誕生秘話」 (3ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa

── 戦力外通告の理由は「クビにしても食いっぱぐれがなさそうだから」ということだったんですよね(笑)。

佐々木 西本さんが言うには、「当時の大毎オリオンズには八田正、須藤豊、平井嘉明、小森光生、そして佐々木信也と5人も力の拮抗した内野手がいたから」とのことでした。それで、「食いっぱぐれのなさそうなキミを指名した」ということだったけど、「そんなバカな話はないでしょう」って食い下がったら、西本さんも困った顔をしていましたね。『プロ野球ニュース』が始まる時には、西本さんへのわだかまりは氷解していましたけどね。

【12年間のキャスター生活】

── 『プロ野球ニュース』と言えば、週末キャスターを務めていたみのもんたさんによる「珍プレー好プレー」も忘れられません。

佐々木 あの当時、アメリカから『This Week in Baseball』という、メジャーリーグのダイジェスト映像が送られてきて、それを定期的に放送していたんです。雨で試合が中止になった日や、試合のない月曜日に流していたんだけど、映像を流している間に、みのもんたが勝手にアテレコを始めたら、「それ、面白いよ」ということになって、日本版の「珍プレー好プレー」が、偶然誕生したんです(笑)。

── この番組のキャスターを12年間も務め、1988年に番組を勇退されました。『プロ野球ニュース』に対する思い入れはとても強いのではないですか?

佐々木 この番組は私の代表作です。雨の日も、風の日も、来る日も来る日も関東近郊の球場に足を運んで取材をして、夜は新宿河田町のフジテレビに戻って生放送に臨みました。野球関係者からも、一般視聴者からも愛された幸せな番組だったと思いますね。

── 88年の佐々木さん退陣後は、局アナである野崎昌一さんが平日、中井美穂さんが週末の司会を務めるなど、番組も大きくリニューアルされました。

佐々木 私としては、体力的にも問題はなかったし、頭の回転も決して衰えていないつもりだったけど、当時のプロデューサーとしては、「そろそろリニューアルをしたい」ということだったようです。もっともっと番組を続けたかったけれど、とても残念でした。

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