落合博満から「巨人で一緒にやらない?」。FA移籍第1号の松永浩美が明かす、移籍先にダイエーを選んだ理由 (4ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

――先ほど、人気や戦力が特定の球団に偏らないということも目的に掲げていたと話していましたが、その成果はどう見ていますか?

松永 権力や強さは一極に集中する傾向があるので、そういうものは分散させなければいけない。かつてはセ・リーグの巨人が絶対的な"盟主"でしたから、他にも人気や資金面で負けないような球団ができたらいいなと思っていました。今では、ソフトバンクも同じような立ち位置にいますね。

 FA制度の影響だけではないでしょうが、ソフトバンクに限らず、パ・リーグ全体の人気が上がったことにも貢献しているのではないかと感じます。かつて、ドラフト会議で入団を拒否されるのは、パ・リーグの球団が多かった。だからFA制度導入後、阪神にいた私や巨人にいた槙原がFA宣言をして、実際に私がパ・リーグのダイエーに移籍したことは、すごく意味のあることだと思ったんです。

――そんな松永さんの考えに反することですが......プロ野球ファンの中には、巨人で落合さんと松永さんが並ぶ打線が見たかった、という方もいるでしょうね。

松永 落合さんのことは本当にリスペクトしていますし、一緒のチームでプレーできるとなれば光栄なことです。少し心は揺らぎましたが、日米野球で一緒にやっていたので、それでいいかなと(笑)。FA制度に対するスタンスが違ったので、仕方がないことですね。

【プロフィール】
松永浩美(まつなが・ひろみ)

1960年9月27日生まれ、福岡県出身。高校2年時に中退し、1978年に練習生として阪急に入団。1981年に1軍初出場を果たすと、俊足のスイッチヒッターとして活躍した。その後、FA制度の導入を提案し、阪神時代の1993年に自ら日本球界初のFA移籍第1号となってダイエーに移籍。1997年に退団するまで、現役生活で盗塁王1回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回などさまざまなタイトルを手にした。メジャーリーグへの挑戦を経て1998年に現役引退。引退後は、小中学生を中心とした野球塾を設立し、BCリーグの群馬ダイヤモンドペガサスでもコーチを務めた。2019年にはYouTubeチャンネルも開設するなど活躍の場を広げている。

◆松永浩美さんのYouTubeチャンネル「松永浩美チャンネル」

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【著者プロフィール】
浜田哲男(はまだ・てつお)

千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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