落合博満から「巨人で一緒にやらない?」。FA移籍第1号の松永浩美が明かす、移籍先にダイエーを選んだ理由 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【統一契約書の中身を変えたい】

――具体的にどのような提言をしたんですか?

松永 私がプロ入りする数年前まで、選手会の提案が発端で導入された「10年選手制度」(1947年~1975年)という、FA制度の前身となるような制度があったんです。プロ入りから10シーズン以上、現役選手として同一球団に在籍した者は「自由選手」として表彰され、所属球団を自由に移籍する権利やボーナス受給の権利が与えられる、というものだったようですが......球団はそれを避けるため、入団9年目の選手をクビにしたり、トレードに出したりしていたそうです。

 そんなこともあってか、せっかく選手会からの提案で作られた制度なのに、選手会のほうから廃止にしてしまった。だから、これに代わる制度はないかなと考え、当時メジャーリーグで行なわれていたFA制度を導入すればいいんじゃないかと。そうすれば統一契約書の中身が変わり、球団側も経営努力をしてくれるようになって、もう少し選手を大事に扱ってくれるだろうと思ったんです。

――選手側は今よりも立場が弱かった?

松永 球団と選手の力関係は9.5対0.5という感じで、選手には「辞めます」と言う権利しかないような契約でした。そんな統一契約書の中身を変えるためにFA制度はぴったりだと思ったんです。会議の場で「FA制度の導入に向けて、これから選手会で進めていこうと思いますが、みなさんいかがでしょうか?」と発言した際には、その場にいた方々から拍手をいただきました。

 それで、提唱者の私が改革委員長に任命され、西武の秋山幸二とヤクルトの広沢克己(現・広澤克実)が副委員長になって、FA制度導入に向けて動き始めました。シーズン中にコミッショナーに何回か会いに行くなど、いろいろと動きましたね。

――1990年12月、選手会は役員総会においてFA制度の導入を目指すことを確認し、翌1991年3月には日本野球機構(NPB)と選手会との団体交渉が開催されました。それから1993年オフの導入に至るまで、さまざまな苦労があったと思います。

松永 そうですね。NPBからは、FA制度とはまったく関連のない案を提示されることもありました。「1軍半レベルの選手の移籍を活発にしていく制度にするのはどうですか?」と持ちかけられたり......。私たちも「それだったら、統一契約書の中身は変わらない。意味がないですよね」と反対しましたし、首を縦に振ることはしませんでしたけどね。

 統一契約書の中身を変えることが、FA導入の根本的な目的でした。メジャーのFA制度にあるような複数年契約や代理人契約、付帯条件、出来高払いなどといった条件がつけられないと意味がない。それまで9.5対0.5だった球団と選手の力関係が、せめて7:3ぐらいになればいいなと思っていました。

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