落合博満から「巨人で一緒にやらない?」。FA移籍第1号の松永浩美が明かす、移籍先にダイエーを選んだ理由 (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【FA導入の目的】

――そうなると、巨人は移籍先の選択肢には入りませんね。

松永 そうですね。結局は移籍先にダイエーを選びましたが、それは改革が求められていたチームだったからです。私は阪急時代、先輩の選手たちからしっかり教育を受けていましたが、当時のダイエーはそうではなかった。現在ソフトバンクの監督を務めている藤本博史にしても、ポテンシャルがあるのに、それを開花させるような教育を受けているようには見えませんでした。

 そういう環境を改革するために私がダイエーに移籍することは、とても意味があることだと思いました。だから、落合さんから「巨人で一緒に」と言われた時も、「ですね~」といった感じで聞き流しましたよ(笑)。

―― FA制度を導入しようと思ったきっかけは?

松永 私は小倉工業高(福岡県)2年生の時に、高校を中退してドラフト外で阪急に入団(球団職員扱いで練習生として入団)しました。一方で、当時はドラフト1位で指名されても、入団を拒否する選手がときどきいました。

 そんな状況を見ていて、「1位って光栄なことなんじゃないの?なんで拒否するんだろう。そこまでプロ野球には夢がないのか」という気持ちになってしまって......。だから、ずっと「プロ野球を夢のある世界にしたい」という考えがあったんです。そこが発端だったと思います。

――プロ入り前、松永さんには行きたい球団がありましたか?

松永 ありませんでした。私はとにかく、プロの世界に入って活躍することしか頭になかったですね。どの球団でも地位を確立できればよかった。好きな球団に入団できても活躍できなければ、高校野球でよくある「強いチームに入ったはいいものの、補欠で試合に出られずに指をくわえて見ている」状態と同じですから。

 一方で行きたい球団がある選手もたくさんいて指名拒否も起こりましたが、それは人気や戦力が偏り、野球界全体の魅力がなくなっていたということ。本来、それを改善するためのドラフト会議が機能しないまでになっていました。

 そういった状況を変えたいと思い、シーズンオフに選手会の役員が集まる会議で「ドラフト1位で指名しても、選手から入団を拒否されるのは寂しい。もう少し選手が憧れるような球団、野球界を作っていく必要があると思うし、そのために契約内容も変えていかなければいけないのでは?」と提言したんです。

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