元ソフトバンク攝津正が「本当に嫌だった」日本シリーズの登板。秋山幸二監督に「鬼の采配」と感じた (3ページ目)
――攝津さんの野球人生において、秋山監督との出会いがどんな影響を与えましたか?
攝津 僕はアマチュア時代から、なんでも自分で考えてやってきたところがありました。実際は周囲の力が大きいんですけどね。その中で身につけたものが多かったので、秋山監督はじめコーチ陣の方々がそれらをいじらなかったこと、そのままの自分を受け入れてくれたことが本当に助かりました。
アマチュア時代、春先はそこまで仕上げる時期ではなかったので、プロ入り1年目のオープン戦なんて球速は130km前後でした。なかなか適応するのも難しかったですが、見切りをつけられることはなかった。ボールがどうこうではなく結果で判断してくれましたし、投げている姿などの部分も含めて認めてくれました。見てもらえているな、と感じましたね。プロ入り後、自分のセールスポイントやスタイルを見失う選手も多いですが、僕はそういったことがなくプレーできたことがよかったです。
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【プロフィール】
攝津正(せっつ・ただし)
1982年6月1日、秋田県秋田市出身。秋田経法大付高(現ノースアジア大明桜高)3年時に春のセンバツに出場。卒業後、社会人のJR東日本東北では7度(補強選手含む)の都市対抗野球大会に出場した。2008年にソフトバンクからドラフト5位指名を受け入団。抜群の制球力を武器に先発・中継ぎとして活躍し、沢村賞をはじめ、多数のタイトルを受賞した。2018年に現役引退後、解説者や子どもたちへ野球教室をするなどして活動。通算282試合に登板し、79勝49敗1セーブ73ホールド、防御率2.98。
【著者プロフィール】
浜田哲男(はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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