仰木彬の屈辱的な投手交代に「頭にきた」星野伸之。試合後、「一度お話をさせてもらえませんか?」と問い詰めた

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Kyodo News

野球人生を変えた名将の言動(8)

星野伸之が語る仰木彬 前編

 指導者との出会いが、アスリートの人生を大きく変える。1987年から11年連続で二桁勝利を挙げ、オリックスのエースとして1995年、96年のリーグ制覇に貢献した星野伸之氏は、当時の仰木彬監督のもとで投球の意識が変わったという。

 現在は野球教室での指導をはじめ、野球解説者やYouTubeでも活動する星野氏に、仰木監督の印象や采配、自身の登板時のエピソードなどについて聞いた。

勝利を挙げた星野氏(右)と握手をするオリックスの仰木監督勝利を挙げた星野氏(右)と握手をするオリックスの仰木監督この記事に関連する写真を見る***

――仰木監督の第一印象はどうでしたか?

星野伸之(以下:星野) 最初は、僕は阪急(現オリックス)の選手、仰木さんは近鉄の監督をしていたので話す機会はありませんでしたが、対戦していて感じたのは「相手の嫌がることを徹底して実行する監督だな」ということです。例えば、若くてほとんど一軍の試合に出場していない選手でも、僕からヒットを打ったことがある選手は必ずと言っていいほど僕の登板時に起用してきました。打順も一辺倒ではなくいろいろと変えてきましたし、非常に嫌な打線を組んでくる印象がありましたね。

――1992年に近鉄の監督を退任され、1994年にはオリックスの監督に就任。自分のチームの指揮官になった仰木監督はどうでしたか?

星野 その頃の僕は「中堅」と言われる年齢でしたし、ある程度の実績も積んでいたので、細かく何かを求められることはありませんでした。外でお酒を飲もうが、「野球で結果を出せばいい」という感じでしたね。そもそも仰木さん自身が「飲む時は飲む」という方でしたから。いつかのキャンプでは、休みの前日だったと思うのですが、飲んでフラフラしながらホテルに帰ってきたのを見ました(笑)。

――仰木監督の投手起用はいかがでしたか?

星野 僕が先発ピッチャーとして考えていたのは「先発したら完投」でした。ただ、仰木さんになってからはクローザーの平井正史をはじめ、リリーフ陣にいいピッチャーが揃っていたこともあって、先発ピッチャーの球が怪しくなってくるとベンチがバタバタと動き始めました。

 特に僕は球威がなかったので、球がちょっと高くなってくると仰木さんも「そろそろやな」という感じになるんでしょうね。グリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)では外のブルペンが見えるので、動きがすぐにわかりました。

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