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仰木彬の屈辱的な投手交代に「頭にきた」星野伸之。試合後、「一度お話をさせてもらえませんか?」と問い詰めた (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Kyodo News

――星野さんが先発時の交代の目安は、球の高さだったんですね。

星野 おそらくそうだと思います。ただ、仰木さんが監督になってからも、完投がなかったわけではありません。延長11回までひとりで投げて、サヨナラ勝ちで勝利投手になったこともあります。その時は、「球の高さは間違えていない」という自負がありました。回が進むにつれて、ただでさえ遅い球速がさらに落ちていたのは自分でもわかっていましたが、それでも交代させられなかった。やはり高さを交代の目安にしていたんでしょうね。

 先ほど話したように、自分の頭には「先発したら完投」という考えがありましたが、仰木さんがリリーフ陣を整備していたので「先発したら5回くらいまではしっかり頑張ろう」という考え方に変わっていきましたし、どれだけリリーフ陣に負担を少なくバトンを渡すか、ということを意識するようになりました。

――当時のリリーフ陣の中でも、リーグ優勝した1995年に15勝5敗27セーブと大活躍した、高卒2年目の平井投手の活躍がセンセーショナルでした。

星野 チームとしても「平井まで繋げば勝てる」という感じでしたからね。ただ、3イニング登板したこともあったり、その翌日にも投げたり......今では考えられません。

 前年、平井が高卒1年目の1994年だったと思うんですが、ある試合で無死満塁のピンチになった時に平井を登板させたことがあったと記憶していて。仰木さんや投手コーチの山田久志さんら首脳陣からすれば、「抑えたら儲けもん。自信もつくだろうし」みたいな感じだったんでしょう。今思えば、その時点で次の年は平井をリリーフにしようという意図があったのかもしれません。

――仰木監督は若手をその気にさせる、ポテンシャルを引き出すことにも長けていたんですね。

星野 若手だけではないですが、期待の選手は我慢して使うことを徹底していました。イチローもそうですよね。仰木さんが監督としてオリックスにきた1年目にイチローをすぐさま抜擢して、史上初の200本安打と大ブレイク。イチローに関しては成績に関係なく1年を通して使い続けるつもりだったようですし、素質を見抜く目もすごかった。「この選手はいい」となれば、思い切った起用をしていましたね。

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