元ソフトバンク攝津正が「本当に嫌だった」日本シリーズの登板。秋山幸二監督に「鬼の采配」と感じた

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

野球人生を変えた名将の言動(7)

攝津正が語る秋山幸二 後編

(前編:秋山幸二「わかってるな?」の問いに攝津正は「わかっています」。ソフトバンクのエースはどのように育てられたのか>>)

 ソフトバンクを6年で3度のリーグ優勝、2度の日本一に導いた秋山幸二監督。入団当時から指導を受けていた攝津正氏は、秋山監督のもとで野球をするなかで新しい発見があったという。インタビューの後編では、秋山監督が自身の野球人生に与えた影響や2011年の日本シリーズで緊急登板した時のエピソードなどを聞いた。

2011年の日本シリーズを制し、攝津(右)からウイニングボールを受け取る秋山監督2011年の日本シリーズを制し、攝津(右)からウイニングボールを受け取る秋山監督この記事に関連する写真を見る***

――秋山監督の指揮官としての特徴は?

攝津正(以下:攝津) 秋山監督はすごく緻密でした。カウントや状況ごとのバッターのスイングの違いや、屋外球場では打球だけじゃなく、風が外野からの送球に与える影響など、細かいところまで考えていましたね。

 僕が現役時代の時は深く話をする機会があまりありませんでしたが、一緒にゴルフをする時も「ゴルフでも緻密に計算して打つんだな」と感じます。だからこそ選手としても、監督としてもあれだけの結果が残せたんでしょうし、今でも野球を勉強させてもらっています。

 ダイエーや西武など、秋山監督の現役時代の話などもしてくれますね。あの頃の西武はものすごく強かったですが、「勝つためにこんなことをしていた」「サインがひとつひとつ、細かいプレーまであった」「上下関係がめちゃくちゃ厳しかった」「寮ではひとり部屋ではなく、何人か同じ部屋で暮らしていた」など、話が多岐にわたっていて面白いです。

――秋山監督は、6年間で3度のリーグ優勝と2度の日本一を達成していますが、就任1年目の2009年、2年目の2010年はクライマックスシリーズ(CS)で敗れるなど苦しい時期もありました。

攝津 そうですね。CSで勝ち抜けない苦しい時期でした。王貞治監督時代の2006年もCSでは、(斉藤)和巳さんが投げた日本ハムとの試合でサヨナラで負け。2010年はリーグ優勝したのにリーグ3位だったロッテに"下克上"を許すなど"鬼門"でした。

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