斎藤佑樹が駒大苫小牧との決勝再試合で初球に投げた最強のボール。「あの夏の甲子園、僕は覚醒していた」 (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Sankei Visual

 ひとつ思ったのは、あの頃っていろんな意味であきらめの気持ちがあったから、逆にそれがよかったのかなということ。心のどこかに「別に負けてもいいや」みたいな感じがあって、切羽詰まっていなかったんです。だからうまく力が抜けたのかもしれません。

 僕は再試合でも危なげないピッチングを続けました。120キロ台のスライダーと140キロを超えるストレートで、アウトを積み重ねていきます。ほぼストライクが先行していたし、ボールが先行してもすぐにワンワン、ツーツーと、平行カウントをつくれていました。

 それどころか、ツーボールになっても、まだピッチャーに有利なカウントだと思っていましたね。フルカウントでさえ「よし、いい感じで勝負できるカウントだ」と......そのくらいストライクを投げることに関して自信があったんです。あの夏の甲子園の間、僕、覚醒していました(笑)。

 中盤以降はスライダーを決め球にして、ゼロを並べます。6回、1番の三谷くんにセンターへホームランを打たれましたが、早実も早い回から1点ずつを取って、着実に点差を広げていました。

 そして、4−1とリードして迎えた9回表、先頭の2番、三木(悠也)くんにインコースのスライダーをうまく押っつけられて、レフトとショートの間に落とされます。これでノーアウト1塁となって、3番の中澤(竜也)くん。ここで僕は初球をセンターのバックスクリーン左へツーランホームランを打たれてしまいました。

 この一打、あとから映像で見たらやや外寄りの高めに浮いた甘いスライダーでしたが、当時はいいコースにいったのにうまく打たれたと思っていたんです。この、どこまでもポジティブな感じ、自分でも不思議に思うくらいです(笑)。

斎藤佑樹が描いた最高のシナリオ

 これで4−3となって、1点差です。ただ、危機感はありませんでした。むしろホームランでよかったと思っていました。あの場面、ランナーをためて攻められるほうがイヤだったので、1点差になってもランナーがいないほうが、切り替えができたと思います。

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