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コーチとの確執で一軍昇格を拒否。92年前半戦、阪神・野田浩司の気持ちはくすぶり続けていた

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

1992年の猛虎伝〜阪神タイガース"史上最驚"の2位
証言者:野田浩司(前編)

 チームが首位に迫った1992年5月の終わり頃。阪神入団5年目の野田浩司は、もどかしさと焦りを感じていた。有力視された2年連続の開幕投手を担うことができず、成績不振で5月15日に登録抹消となった。二軍降格はプロ入り初だったが、先発陣の軸になるはずの右腕に何があったのか。30年前の状況を野田に聞く。

プロ5年目の92年、ヒジの故障もあり自身初の二軍降格を経験した野田浩司プロ5年目の92年、ヒジの故障もあり自身初の二軍降格を経験した野田浩司この記事に関連する写真を見る

予兆は前年の5試合連続完投勝利

「その年はキャンプのあとに右ヒジが痛くなって、オープン戦は2試合しか投げてないんです。自分でも開幕投手は堅いと思っていたけど、4月になってもまだ痛みがあって、ローテーションに入れなかった。それでも一軍に帯同しながら治療して、ある程度投げられるようになったのでリリーフで何度か投げて、打たれてファームに行ったんですね」

 シーズン初勝利は4月28日のヤクルト戦。先発で挙げているが、それ以外は序盤でKOされ、リリーフでも負けがついての降格。前年は8勝14敗ながら、リーグ4位の212回2/3を投げた野田としては不本意でしかなかった。反面、経験ある仲田幸司のほか、中込伸、湯舟敏郎、葛西稔、猪俣隆といった若い投手が先発で台頭し、それが野田の焦りにつながっていた。

「マイク(仲田)さんがめっちゃよくて、ピッチャー陣がすごく頑張ってましたからね。じつは前年の9月、若手中心で5試合連続完投勝利というのをしているんですよ。チームは最下位なんだけど、そこから92年のローテーションができあがったような。しかもレベルの高い競い合いになっていて。そのなかで自分ひとり出遅れてしまった......という感じがありました」

 91年9月22日の横浜大洋(現・横浜DeNA)戦の中込に始まり、湯舟、野田、猪俣、葛西の順番で挙げた5試合連続完投勝利。まして、この5人は86年から90年までのドラフト1位である。編成と育成の方針が実を結んだ形と言えるだろうが、5人のうちもっともフル回転してきたのが、前年までの背番号1から18に変わった野田だった。

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