コーチとの確執で一軍昇格を拒否。92年前半戦、阪神・野田浩司の気持ちはくすぶり続けていた (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki
  • photo by Sankei Visual

 ギクシャクしたまま、92年を迎えていた。開幕から不振の野田に対し、大石コーチの言葉は厳しかった。5月3日の広島戦に先発し、2回1/3でKOされた試合後など「困ったらフォーク。もうその考え方を捨ててもらわないと困る。マウンドであんな姿を晒したのでは、守ってもらっている野手に申し訳がない」と叱責している。

 その後、初めて二軍に落ちて屈辱を味わった反面、大石コーチと顔を合わせずにすむ日々が続くことになった。一軍戦力に加われないもどかしさと焦りを感じつつ、ファームでしっかり充電して、精神の安定を取り戻すことも必要と考えたという。

「ファームではヒジの治療に始まって、徐々に調子を上げていったんですが、首脳陣の方にだいぶお世話になりました。投げられるようになってからは育成コーチの上田次朗さん、バッテリーコーチの加藤安雄さん。とくに加藤さんは僕のいい時を知っていて、めっちゃ元気がいい人なんです。いつも受けてもらって、気持ちを盛り上げてくれました」

 ファームの試合で登板するようになると、中村監督から「早く戻って来い」との通達があった。だが野田は、「まだいいです」と返答した。6月上旬、チームが初めて単独首位に立った頃だったからか、昇格を拒否しても何も咎められなかった。ただ、大石コーチはマスコミを介して野田に言った。

「いつまでもミサイルが飛んで来ないところでホッとして過ごしているのがいいのか、それとも戦いのなかで、必死で相手に向かっていく日々を求めていくのか。状態はよくなったんだから、あとは気持ちの問題だぞ」

 6月も終わる頃になるとチームの状態が暗転する。始まりは28日の中日戦、守護神の田村勤が抑えに失敗し、23試合目で初黒星を喫したことだった。翌日、野田のもとに一通の手紙が届いた。差出人を見れば<中村勝広>とあった。

後編につづく>>

(=敬称略)

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