コーチとの確執で一軍昇格を拒否。92年前半戦、阪神・野田浩司の気持ちはくすぶり続けていた (3ページ目)
「3年目まではほとんどわかってなくて、だから抑えもすぐクビになったんだなと(笑)。それが4年目は開幕投手をさせてもらって、1年間ローテーションで回って、200イニング以上投げて。そこから、自分としてはだいぶ自信がついてきましたよね。成績が出ても大石さんの教えは続きましたし、グラウンド外でも厳しい方でした」
遠征先では大石コーチによる「門限チェック」があった。コーチ自身は常にホテルの食堂で夕食を済ますため、外出した選手が門限までに帰ってこなければすぐにバレる。コーチも食堂でビールを飲むことはあり、同席すれば面白い話をしてくれる。だが、生活面での指導は熱心だった。
「一度、門限を破ってホテルに帰ったら、部屋に紙が入っていました。<帰ってきたら部屋に来い>って書いてあって(笑)。その時は『プロで金を稼ぐためにはそういうことじゃダメだぞ』って言われましたし、よく言われたのは『タイガースのタテジマを着ているから人気とマスコミとファンがすごくて、いろんなところでチヤホヤされるけど勘違いするな』ってことです。
大石さんは広島、阪急でプレーした方だから、僕らに言えたんだと思います。『タテジマを着ているから騒がれるだけで、まだおまえらなんか何者でもないヒヨッコやぞ』と。実際、自分でも勘違いしていたところはあったと思います。だから、それは後々、ありがたかったんですけど、その時はまだ素直に聞けてない部分もありましたね」
投手コーチとの軋轢
先発として、ある程度コンスタントにやっていけるという自信がつくと、同時に数字もついてくるようになった。なおかつ、ローテーションの軸としての意識も高まる。まだ23歳と若いながらも、プライドのようなものが出てきた。ところが、そのことで大石コーチと衝突することになる。
「4年目のある試合をきっかけに、大石さんとの関係がおかしくなって......。試合後に投球内容のことでガツンと言われて、自分が言い返したような感じになって、ぶつかってしまったんです。1回、ぶつかるとギクシャクしちゃうから、そこからずっと折り合いが悪くなって。おそらく、監督だった中村勝広さんも全部知っていたと思います」
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