村上宗隆、覚醒のきっかけは入団2年目。元ヤクルト近藤一樹が明かす当時の秘話「時には大泣きしていた」 (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Koike Yoshihiro,Shimamura Seiya

2020年までヤクルトでプレーした近藤一樹2020年までヤクルトでプレーした近藤一樹この記事に関連する写真を見る 近藤は2018年シーズン、リーグ最多となる74試合に登板し、35ホールドで最優秀中継ぎのタイトルを獲得した。もしこの時の近藤が、今の村上と対戦したらどのような勝負を挑むのだろうか。

「今の村上だったら無理して勝負する必要はないんじゃないかと。いろいろなパターンで、いろいろ考えて、ようやくアウトがとれるかもしれないバッターですからね。勝負するとして、僕はバッターが誰でもスタイルを変えなかったので、おそらく1球でやられると思います。これまでも相手チームの強打者に1球で仕留められていたので。僕はそういうところの野球の頭が悪かったので、今はそこを勉強している最中です(笑)」

 そして近藤は思い出したように、「2019年の村上は......」と話し始めた。

「当時コーチだった宮本慎也さん、石井琢朗さんに野球人としていろいろなことを毎日叩き込まれていました。時に大泣きするくらい、叩き込まれていました。でも、僕も高校を卒業して何も知らないままプロの世界に入って、いろいろな方に指導していただいた経験があります。それは必要なことで、村上はそれを早い段階で経験できた。グラウンドでの立ち居振る舞いや責任感の強さは、それが生きていると思います」

 どれだけ三振をしても、ミスをしてもヤクルト首脳陣は村上を使い続けた。そしてまた村上もその期待に応え、懸命に食らいついた。なにより感服するのは、村上の心身のタフさだ。そうして2年目の経験が下地となり、村上の才能を一気に開花させたのだ。

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