「ボールが消えた」「速くて見えない」カープ黄金期の名プレーヤー・高橋慶彦が驚愕した5人の名投手

  • スポルティーバ●文 text by Sportiva
  • photo by Kyodo News

 広島黄金期の中心メンバーとして活躍し、1979年には33試合連続安打の日本記録を樹立した高橋慶彦氏。晩年はロッテ、阪神でもプレーするなど、17年の現役生活を過ごした高橋氏に「すごいと思った投手」を5人挙げてもらった。

豪快なマサカリ投法から通算215勝をマークした村田兆治豪快なマサカリ投法から通算215勝をマークした村田兆治この記事に関連する写真を見る村田兆治(元ロッテ)

 プロに入って、最初に「すごい!」と思ったのは村田兆治さん。初めて対戦したのは、プロに入ってまだ間もない頃のオープン戦だったんだけど、「これがプロのボールか」と思い知らされた。

"マサカリ投法"と呼ばれたダイナミックなフォームから投げ込むストレートも強烈だったけど、村田さんはフォークがとんでもなくすごかった。スイングしようと思ったら、本当に目の前から消えた。ボールってこんなに変化するんだって、驚きしかなかった。「こんなボールどうやって打てばいいの」って......。

 村田さんのフォークはストレートとまったく同じ軌道で、こっちが「よし!」と思ってスイングするとストンと落ちる。しかもストレートとフォークの球速差がほとんどなく、見分けるのが難しい。とにかく厄介なボールだった。

 フォークと言えば、ほかにも遠藤一彦や佐々木主浩もすごかったけど、衝撃度は村田さんがダントツのナンバーワン。

小松辰雄(元中日)

 これまで多くの投手と対戦してきて、速い球を投げるピッチャーは数えきれないほどいたけど、ボールが見えないと思ったのは小松辰雄ただひとり。

 スピードはもちろんだけど、ボールのキレ、勢いがすごく、とくに低めに決まったストレートはバットに当たる気がしなかった。ちょうどこの頃にスピードガンが普及して、初めて150キロを連発したのが小松だった。だから「スピードガンの申し子」なんて呼ばれていたけど、バッターボックスでは球速表示以上の速さを感じたね。

 小松はスタミナもあったし、全身がバネみたいな感じで、イニングを投げても球速が落ちない。実際、何度も完封されたし、9回になって球速が上がるピッチャーなんて見たことがなかった。

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