村上宗隆、覚醒のきっかけは入団2年目。元ヤクルト近藤一樹が明かす当時の秘話「時には大泣きしていた」 (2ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Koike Yoshihiro,Shimamura Seiya

「投げたくなければ投げないですし、いま投げているということは、自分のなかにやりたい何かがあるんで......。今はチームが勝っている展開で投げることが多いので、僕が打たれたら負けてしまうということをプレッシャーとして投げています。NPBに復帰できるかについては、動けなくなったら無理ですけど、まだこうして動けているので......。万が一、紙一重でもチャンスがあればと、ちょっとは期待しています」

 香川での2年間については、このように語る。

「この2年間でいろいろな経験と勉強ができました。練習メニューにしても、1週間のメニュー、1カ月のメニュー、1年間のメニューをマネジメントしていく。この経験は、選手だけやっていたらできなかったことなので、すごく大きいなと思っています」

 香川の選手たちの成長を見ながら、近藤が思い出すのが村上のことである。近藤はヤクルト在籍時、村上と3シーズンをともにした。

「村上とは神宮のクラブハウスのロッカーが隣でした。当時の僕は、チームのいろんな人にクラブの型をつけてあげていたんですけど、村上も『僕のグラブもお願いします』と物おじせずに頼んでくる(笑)。村上が打ち始めてからすでに"神様"扱いしていたのですが、ある時『神様』って声をかけると、『なんですか? 近藤さん』みたいな感じで(笑)。年齢はかなり離れていましたが、フレンドリーな先輩と後輩の関係だったと思います」

 今回、近藤が話してくれたエピソードを聞くと、悔しさとともに村上が成長していったことがよくわかるのだった。

「第一印象は、若いのにバットを思いきり振ることができることで、モノが違うというのは当時から感じていました。なかでも、1打席1打席に集中できる子で、1年目にチャンスで代打起用されその打席はアウトになったのですが、凡退したあとにベンチ裏のロッカーでうずくまっていたんです。僕は、まだ試合が終わってないんだからベンチに戻れよって思ったのですが、それくらい1打席にかけていたんだなと。本当に悔しかったんだと思います」

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