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村上宗隆、覚醒のきっかけは入団2年目。元ヤクルト近藤一樹が明かす当時の秘話「時には大泣きしていた」 (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya
  • photo by Koike Yoshihiro,Shimamura Seiya

 村上の1年目のシーズンは14打席に立ち、ヒットはプロ初打席に放った本塁打のみだった。

「ビジターの球場でもロッカーが隣ということがよくあったんですけど、僕が着替えをしていると、またうずくまっているみたいな(笑)。それくらい結果を残したかったのかなと。アウトになったことを背負う必要なんてないのに、あの頃から強い責任感を持っていたんでしょうね」

ボールに触れないようにしていた

 ただ村上の守備については、「そこを責めるのは気の毒ではあるんですけど」と前置きしたうえで、試合に出ている以上は最低限のことはやってほしいと感じることもあったという。

「2年目のシーズン、村上はおもにファーストを守っていたのですが、ボールを捕りにいかないというか、なるべく触らないようにしている感じに見えました。たとえば、送りバントで村上の前に打球が転がっているのに『ピッチャー!』って指をさされて、『そりゃないわー』と思ったことはありました(笑)。でも、その時は本当に守備が不安だったんだと思います」

 2年目の村上は、事実、三振も失策数も多かった。守備については、首脳陣から「ピッチャーの生活もかかっている」という声もあったが、それでも全試合で村上を先発に起用した。

「やっぱりホームランを打てる選手は魅力ですからね。ホームランを打てるということは強く振れるということで、三振が増えるのは仕方ないです。あの時に三振を怖がって打率を残すことに走ったら、魅力がなくなっていたかもしれない。

 それにバッティングの経験を積ませるため、守備には多少、目をつぶった。それが結果として、今はサードで頑張っていますし、ピッチャーに声かけをしたり、成長しているじゃないですか。もし当時の環境に今の村上がいたら、僕はもっと抑えていたかもしれないですね(笑)。それは冗談として、村上はあのシーズンの悔しさや不安だったことに対して、練習に取り組んできたことの成果が、今につながっているんだと思います」

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