「牛島和彦は生意気だ!」のイメージは権藤コーチの策略。「オレの足元にグラブを叩きつけて、ロッカーに帰れ」で生まれた (4ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sano Miki

── 心も身体も準備できていない、まさに緊急登板ですね。

牛島 だから、権藤さんに言われましたよ。「投球練習後に、次の打者、その次の打者と二人フォアボールを出していいから、その間に肩を温めろ」って。それで、「ノーアウト1、2塁の場面から0点に抑えろ」って(笑)。

── さて、その星野さんが87年シーズンから中日の監督となりました。就任当時は39歳の青年監督の誕生でした。

牛島 星野さんにはずっとお世話になっていましたから、僕としても「よし、オレも星野さんのために頑張るぞ」という思いでした。でも、そこでいきなりトレードの話が飛び込んできたんです......。

── 今もなお伝説に残る「1対4トレード」ですね。ロッテ・落合博満に対して、中日からは牛島さんを筆頭に、上川誠二、平沼定晴、桑田茂の1対4という前代未聞のトレード劇でした。この一件については、ぜひ次回お尋ねしたいと思います。

牛島 あの時は本当に驚きました。このトレードについては、次回お話ししましょうか。

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  プロフィール
牛島和彦(うしじま かずひこ)/1961年、大阪府大東市生まれ。78年、浪商高校(現・大体大浪商)2年の春に、エースとしてセンバツ出場。79年、3年春のセンバツで準優勝し、3年夏は甲子園ベスト4。同年秋、ドラフト1位で中日に入団。86年オフに落合博満との1対4のトレードでロッテ移籍。おもにリリーフエースとして活躍し、セ・パ両リーグで最多セーブ投手となる。93年に現役を引退。プロ通算53勝64敗126セーブ。2005年に横浜(現DeNA)監督に就任。現在はプロ野球解説者として活躍している

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