「牛島和彦は生意気だ!」のイメージは権藤コーチの策略。「オレの足元にグラブを叩きつけて、ロッカーに帰れ」で生まれた (2ページ目)

  • 長谷川晶一●文 text by Hasegawa Shoichi
  • photo by Sano Miki

「気の強いイメージ」を演出

── プロ入りして、中日時代には中利夫、近藤貞夫、山内一弘監督の下でプレーしました。印象に残っている監督はいますか?

牛島 監督というよりは、ピッチングコーチにはいろいろなことを教わりました。入団時の稲尾和久さん、権藤博さんがとくに印象に残っていますね。稲尾さんにはピッチングについて、権藤さんからはメンタル面について、いろいろなことを教わりました。

── プロ1年目のミーティングの際に、稲尾コーチからの「9回二死満塁、カウント2−3(2ストライク3ボール)からどんな球を投げるか?」という質問に対して、「どんな状況によって、2−3になったかによって投げるボールは変わってくる」と、ルーキーだった牛島さんが答えたことが伝説になっていますね。

牛島 このミーティングはよく覚えています。僕の場合、高校時代から「これ」といった決め球がなかったんです。真っすぐは速くない、カーブはちょっとしか曲がらない、で、フォークは落ちない。高校時代からずっと状況や過程を意識しながら投げてきたので、当時考えていたことをそのまま答えただけなんですけどね(笑)。

── かなり意識の高い高校生だったという証明ですね。

牛島 配球を考えずに抑えられるピッチャーじゃなかったっていうことですよ。高校3年春のセンバツで、準々決勝の川之江高校戦は延長戦220球を投げて、準決勝の東洋大姫路高校戦では150球投げて、次の決勝の箕島戦では全然投げられなかったんですよ。そんなこともあって、当時から身体の負担を少しでも軽くするために、「フォアボールは出さない」とか、「なるべく早めに打ちとる」とか、そんなことをずっと意識していたからだと思いますね。

── 一方の権藤さんとはどのようなやりとりがありましたか?

牛島 権藤さんからは、「打たれても、下を向くな。ベンチの上のお客さんの顔を見ながら、堂々と戻ってこい」って言われましたね。おかげで、「牛島は生意気なヤツだ」とか、「アイツは気が強い」と言われたけど、そういう印象づけをしたかったんだと思います。一度、「オレの足元にグラブを叩きつけろ」と言われたこともありましたね。

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