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斎藤佑樹「こんなんじゃ、夏の甲子園で勝てない」。決死の覚悟で投球フォーム改造に踏みきった (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Nikkan sports

 レベル的には絶対に僕らのほうが上のはずだし、センバツで甲子園も経験しているんだし、だったらとことん上から目線で圧倒的に潰してやるみたいな、そういうイメージでいかなきゃダメだったんでしょうね。極端に言えば『オレたちはこんなところで遊んでる場合じゃない』って感じです。

 ところが、チームメイトの空気がそうじゃなかった。思えばセンバツが終わってからずっとそうだったのかもしれません。みんな、どこかでベスト8になった満足感があったのか、練習試合ではミスも多かったし、まとまりもなかった。

 西東京大会の初戦を、薄氷を踏む思いでやっと勝ったのに、試合後のミーティングではやたらと軽い感じだったんです。「このまま行けるっしょ」みたいな......さすがに僕は黙っていられませんでした。「いやいや、今日はおまえら、何もしてないだろ」って、かなり厳しい調子で話をしました。あの試合からみんなにもスイッチが入ったような気がします。

 実際、あの試合に限って言えば、僕が突っ走って勝ったみたいな展開でした。5回に2点を失いましたが三振を15個とったし、ピッチングだけじゃなく、ヒットも2本打ったのかな。セーフティバントも決めた記憶があります。

 2−2の同点で迎えた最終回、先頭バッターが僕で、ヒットを打って、そのあとノーサインで三塁へ盗塁を仕掛けました。何がなんでも1点を奪うんだという気持ちで3塁へ走ったら、バッターがピッチャーゴロを打った。その打球をピッチャーが弾く間に、ヒットエンドランのような形でスタートを切っていた僕は一気にホームへ突っ込みます。そうしたらキャッチャーミットからボールがこぼれて、勝ち越しの1点をもぎとりました。

 最後の夏は技術より気持ちが上回らないと、勝つことは難しい。あの都昭和との試合がすべての始まりで、あそこで負けていたら何もかもがなかったわけですから、それも不思議な感じがします。

*     *     *     *     *

 西東京大会の一歩目を踏み出した斎藤は、日本一を成し遂げるために超えなければならない西東京の3つの難敵に挑むことになる。それは、ともにセンバツへ出場した東海大菅生、春の都大会で敗れた日大鶴ヶ丘、そして夏に強い宿敵、日大三だった。

(次回へ続く)

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