斎藤佑樹「こんなんじゃ、夏の甲子園で勝てない」。決死の覚悟で投球フォーム改造に踏みきった (3ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Nikkan sports

 一般的にはボールをホーム方向に向けたまま右腕を上げようとすると肩が引っかかって腕が上がりづらくなると言われています。だからボールをセンター方向へ向けたまま棘上筋などを使ってテイクバックするように言われるんですけど、僕には右ヒザを曲げて、握ったボールをホーム方向へ向けたままテイクバックする......この2つがハマったんです。あの投げ方は自分が変わるためのいいきっかけになりましたし、みるみるうちにスピードが上がっていきました。

 センバツまでは143キロがマックスだったのに、都大会のあとの九州遠征で147キロが出て、その後の早実グラウンドでの岩手の高校との練習試合では149キロが出ました。結果的にはフォームを変えてから10日くらいでスピードが上がったんですけど、あの早実グラウンドでの練習試合でいきなりドンとアップした印象でした。

 アベレージが136〜7キロとかで、力を入れると140キロを超えるくらいの感じだったのに、あのあとはアベレージが140キロを超えるようになりました。それは春の甲子園が「今のままじゃダメだ」と教えてくれて、僕に教えを受け入れられる土台ができたのだと思います。

 新しいフォームはスポンジのように僕に染み込んでいきました。夏の大会を前にした慶應義塾との練習試合でも147キロが出て、三振を15個とりました。あの時の慶應は春の神奈川県大会でベスト4まで勝ち上がっていた強打のチームでしたから自信になりました。このままの感覚でいきたい、早く夏の大会が来てほしいと思っていましたね。

西東京大会初戦でまさかの苦戦

 最後の夏、西東京大会の初戦の相手は都立昭和でした。もちろん勝ったんですが、スコアは3−2。あの時の都昭和にはガムシャラさを感じました。

 僕の140キロ台後半のボールをカンカン打ち返すし、激しいプレーをしてでも勝ちにいくみたいな気持ちの強さがあって......強い私立と戦う時の都立って、勝てないとわかって適当になっちゃうか、勝てなくても自分たちの野球でぶつかろうとしてくるか、どちらかなんです。ぶつかっていこうというチームはうまくハマれば波に乗って、イケイケドンドンになる。そういう時、こちらとしては同じ目線になったら呑まれてしまいます。

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