清原和博は本当に「甘やかされていた」のか。石毛宏典が振り返るルーキー時代の素行と育成 (3ページ目)
日本シリーズの涙に感じたこと
――清原さんが若い頃の印象深いシーンとして挙げられるのは、1987年の巨人との日本シリーズ。日本一が決定する目前で、一塁の守備位置で涙を流していました。二塁を守っていた辻発彦さんが声をかけながらなぐさめていましたが、三塁を守っていた石毛さんはどう見ていましたか?
石毛 その時は、「何を泣いてやがるんだ。お前の涙で試合を中断するんじゃねえ」と思っていました(笑)。相手が巨人でいろいろと思うことがあったんだろうけど......。
かくいう自分も、グラウンドで涙を流したことがありますけどね。1992年の日本シリーズでヤクルトと対戦して、7戦まで戦った末に日本一になれたのですが、チームメイトに胴上げされた時に感極まって。まぁ、試合が終わったあとですし、自分の話はいいのですが(笑)。普通は、野球人がああいう場面で涙を流すことはないですよね。
――清原さんが、グラウンドであそこまで感極まった表情を見る機会は、それまであまりなかった?
石毛 清原はあれだけの恵まれた体と優れた技術があって、PL学園で1年生の時から4番を任されていた。まだ1、2年生の時は先輩の目が気になったでしょうし、あれだけ注目されていた分だけ世間からの評価も耳に入ってきていたでしょう。多感な時期に称賛されたり、批判されたり、ヤジが飛んできたり......。多くの人間が感じないようなことを若い頃から感じて育ってきた人間だと思うんです。
だから感受性が人一倍強いんじゃないかなと思いますし、ドラフトの件でも葛藤があったはず。そういったいろいろなことが積み重なって表に出たのが、あの涙したシーンだったんでしょう。
(後編:清原のバッティングは「1年目が一番よかった」>>)
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