斎藤佑樹が「本当にショックだった」日大三高戦。自信の投球が痛打、力不足だと認めざるを得なかった (3ページ目)
真っすぐの威力も変化球のキレも、コントロールも......打たれた2本のホームランも含めて、全部の球を力いっぱい振りきられている感じがして、あんな経験をしたことはありません。本当にショックでした。
打倒・日大三への思い
試合後の3年生の引退式で高屋敷さんに「斎藤、おまえだから1番を譲ったのに不甲斐ないじゃないか」というようなことを言われました。「こんなんじゃ、おまえの代でも甲子園には出られないぞ」と......叱咤激励の厳しい言葉だったと記憶しています。
三高との試合は僕が打たれて、5回途中から高屋敷さんに代わったんです。高屋敷さんはその後をきっちり抑えました。エースナンバーを譲った後輩があんな不甲斐ないピッチングをしたんですから、高屋敷さんも歯痒かったんじゃないかと思います。
三高は決勝でも(明大中野八王子に13−2で)勝って、3年連続で夏の甲子園出場を決めました。甲子園でも(高知、前橋商を倒して)ベスト8まで勝ち進んだ(準々決勝で宇部商に敗退)。
高2の夏、自分は甲子園へ行けるぐらいのレベルに来ていると本気で思っていました。でも、そうではなかった。ずっと日本一を目指すとは言っていましたが、日本一になるということは、甲子園でいくつもの強いチームと戦って、それをすべて倒して勝ち抜いていくということです。
いま思えば、あの時の僕にそこまでの覚悟はまだなくて、三高のような目の前に立ちはだかった全国レベルの敵をどうやって倒そうか、ということしか考えていませんでした。しかも、その目の前のたった一校さえ倒すことができなかった......日本一への距離は果てしなく遠く感じられました。ただ逆に言えば、三高を倒せば甲子園へ行ける、とも思いました。だから僕にとって、三高を倒すということは明確な目標になりました。
僕は、どうすれば三高を倒せるのかを考え続けました。なぜホームランを打たれたのか、なぜあんなにフルスイングされたのか。クセがあったかもしれませんし、インコースを攻めきれていなかったのかもしれない。あらゆる可能性をホワイトボードに書き出しました。
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