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斎藤佑樹が「本当にショックだった」日大三高戦。自信の投球が痛打、力不足だと認めざるを得なかった (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta
  • photo by Nikkan sports

 自分が今までどういうボールで抑えてきたのか。右バッターには追い込んでからの外角スライダーを振らせた。左バッターならインコースのまっすぐで詰まらせた。そうやって抑えてきたボールと打たれたボールを書き出したんです。どのボールは使えて、どのボールは使えないのかをハッキリさせようと考えました。

 ブルペンでは具体的な場面を想定してイメージトレーニングを続けました。ベース板のここに入ったら打たれる、ここなら打たれないと、一球ごとに確認しながら投げ込みます。インコースへしっかり投げきるために、バッターに立ってもらって近めを攻める練習もしました。インコースへ投げきったつもりでもボール1個分、いや半個分、さらに攻め込まなければダメなんだということにも気づきました。

 バッティング練習でも、どこのボールならバッターの腕が伸びてフルスイングできるのかを考えながら、ピッチャー目線で打っていました。

 新チームになって、春のセンバツへの出場がかかった秋の東京大会が始まります。もう甲子園へ出られるチャンスは春と夏、一回ずつしかありません。何としても秋の大会で三高に勝って、初めての甲子園出場を勝ちとりたい......そう思っていました。

 じつはその秋のブロック予選の初戦で、都立足立新田の秋吉(亮)と投げ合っているんです。あの試合のことはよく覚えています。3−1のきわどい試合でした。試合前には秋吉のことは知らなくて、実際に試合をしたら「えっ、都立にこんないいピッチャーがいるの?」と驚きました。正直、ブロック予選の初戦で、相手も都立......簡単に勝てるでしょって思っていたら、とんでもなかった(苦笑)。あの試合で負けていたらセンバツはなかったと思うと、ゾッとしますね。なにしろ、あの秋の僕には三高しか見えていませんでしたから......。

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 日大三がベスト8まで勝ち進んだ夏の甲子園で、連覇を成し遂げた駒大苫小牧のマウンドに立っていたのは、斎藤と同じ2年の田中将大だった。しかし打倒日大三を目指す斎藤の視界に、まだ田中は入っていない。それでもこの秋、斎藤は田中と運命的な対峙を果たすことになる。

(第9回へ続く)

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