江藤慎一の専属バッティング投手だった大島康徳。打撃練習なのにニューボールを使う決まりごとに驚いた (3ページ目)
驚くべきことだが、鈴木はこの1969年の段階で、プロ野球機構と球団に対して極めて先駆的な改革提言をしている。これも同じコラムでこう書いている。
①入場人員の水増しをやめ有料入場者の実数を発表すること。各球団は独立採算を目指し球団の財務状況を公表すること。
➁チームの名前の上にはホームにしている本拠地の地名を冠せること。
③巨人戦のホーム後楽園でのテレビ中継における放映料は日本テレビが独占しているが、これは他の5チームが(コンテンツとして)寄付をしているのに等しい。テレビ・ラジオの放映権は一括して連盟の手に収め、その利益は六球団に平等に分配すること。
この3つの施策はどこかで見たことがないだろうか。
①親会社に頼らぬ経営の健全化と財務の透明化と開示。
➁企業名を廃しての地域密着の徹底。
③チームごとの格差をなくすためにリーグが一括して放映権料を管理して均等に割り当てる。
何のことはない。日本プロサッカーリーグ、Jリーグが立ちあがる時にプロ野球を反面教師として実現させていったものばかりである。Jリーグ開幕が1993年であるから、その24年前に提起していたことになる。さらにコラムでは、ファンによる組織的なヤジを奨励しており、これなどはサッカーのチャントであり、その上で「人種的なヤジは禁物」とNOヘイトの姿勢も打ち出している。
その先見ある鈴木が水原の監督着任の経緯に注視していたのは、1年目に起こる江藤との対立を予見していたようで興味深いが、それは後述する。
鈴木は背番号8にちなんで江藤にエイトマンと名づけた人物でもある。「当時、小学三年生の長男(のちの鈴木遍理東京新聞論説委員)に印象づけようとアニメからとった」
鈴木は江藤のユーモアのセンスを評価していた。「江藤の言うジョークは1分ほど経ってから笑える」。松本人志の言う「考えオチビーム」である。
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