元オリックス川口知哉が明かす高校時代のビッグマウス発言の真相。「思っていることを正直に口にしただけ......」 (6ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual,Tanigami Shiro

── それはどんなことですか。

「南京都のエースが斉藤和巳さんで、その年のドラフトでダイエー(現・ソフトバンク)から1位指名を受けるのですが、ストレートがとんでもなくすごかった。速いだけでなく、ボールがうなっていました。プロで160キロのボールを見ましたけど、衝撃度では和巳さんが文句なしのナンバーワン。当時、漠然とプロに行きたいと思っていたなか、和巳さんのボールを見て、プロに行くならこのレベルに達しないといけないのかと」

── 目指すべき目標がはっきりしたと。

「あのボールを見たら勘違いなんてできるわけがなかった。だから、いつもひとりで焦っていました。結果は出ていても『こんなんじゃドラフトに間に合わん......』と。そういう面でしんどかったですけど、人って明確な目標があると、妥協しなくなる。僕のなかで最後まであのストレートを追い求めていたから"地獄の練習"にも耐えられた。1年の夏に、和巳さんのボールに出会ったおかげです」

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プロフィール
川口知哉(かわぐち・ともや)/1979年8月25日、京都府生まれ。97年、平安高校(現在・龍谷大平安)のエースとして春夏連続甲子園出場を果たし、夏は準優勝に輝く。同年秋のドラフトで4球団競合の末、オリックスに入団。プロ入り後は制球難に苦しみ、7年間で通算9試合の登板、0勝1敗、防御率3.75に終わり、2004年オフに戦力外通告を受ける。引退後は家業を継ぎ、10年からは女子プロ野球の指導として活動。今春から母校のコーチに就任した。

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