元オリックス川口知哉が明かす高校時代のビッグマウス発言の真相。「思っていることを正直に口にしただけ......」 (4ページ目)

  • 谷上史朗●文 text by Tanigami Shiro
  • photo by Sankei Visual,Tanigami Shiro

今春から母校のコーチに就任した川口知哉(写真右)と原田英彦監督今春から母校のコーチに就任した川口知哉(写真右)と原田英彦監督この記事に関連する写真を見る── 夏の決勝戦では、スピード、球威は落ちていましたが、コントロールが乱れることはありませんでした。

「高校の3年間、練習でも試合でも足をつったことは一度もありません。あれだけ走っていたら、毎日連投しているようなものでしたから。あの時はアップして、5分ぐらいティーをして、バッティングをして、あとはひたすら走っていました。ピッチングをしていても、ほかのメンバーからは『ラクしてんな』と言われたり、キャッチャーボールやストレッチをしてると『なにサボっとるねん』と声が飛んできました」

── エースで4番、しかもキャプテンに対してもそんな感じだったのですか。

「そんなのまったく関係なかったですね。僕らの代は、全員が『目立ちたい』『オレが一番や!』という連中ばかりで。野手同士でもプレーに対して、あちこちで言い争いしていました」

── 指示待ちではなく、自分たちで考えて動いていたと。

「それぞれの頭の中に『こうやったら完璧!』というプレーがあるから、主張も強くなる。一切妥協せず本気でぶつかり合っていたから、言い争いになったと思います。でも、腹は立つけど面白かったです」

── 原田監督が「あの時代の選手は一番手がかからなかった」と言っていた意味がわかります。

「監督には認めるところは認めてもらっていました。1つ上のチームの時は、休みは全然なかったんですけど、僕らの時は月曜日がほぼ休み。火曜から日曜までとことん野球に打ち込んで、月曜日はみんな思いきり楽しんでました(笑)」

── 今は「自主性を大事に......」とよく言われています。

「中学から来て、いきなり自主性って言われてもできない。練習の流れや野球部の決まり、プレーにしても、やらないといけないことをまず叩き込まれて、理解して、そこからの自主性なんです。自分にとってラクなことだけをやるというのは、自主性より妥協につながる。しんどいことでも、勝つために必要、チームや自分の成長に必要なら進んでやるのが自主性です」

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