ヤクルトの2000年ドラ2位投手、鎌田祐哉が振り返るプロ入り秘話と試練続きだった現役時代 (4ページ目)

  • チャッピー加藤●文 text by Chappy Kato

調子を落としてもヤクルトだけ残った

 一方、スカウト間の評価は高まり、鎌田は2000年ドラフトの有力候補になっていた。当時のドラフトはまだ逆指名制度が残っていて、有力選手は自分が希望する球団に抽選なしでいけた時代だ。鎌田のもとにも、3年時からスカウト陣が日参していたという。

「最初は7球団ぐらいから話がきていたみたいですが、4年の時に調子を落としたら、どんどんいなくなって(笑)。ヤクルトだけが最後まで残ってくれたんです」

 指名順位こそ2位だったが、担当スカウトが「1位と同等の評価だから」と言ってくれたこと、本拠地が大学時代に慣れ親しんだ神宮球場であること、前年、大学の1年先輩・藤井秀悟が入団していたことも決め手となり、鎌田はヤクルトを逆指名。「プロ野球選手になる」という夢を叶えた。
 
 2001年、若松勉監督のもとで鎌田は1年目から開幕一軍入り。4月3日の巨人戦にリリーフで出場し、プロ初登板を果たす。しかしプロの壁に当たり、早々と二軍落ち。しばらくファーム暮らしが続くことになった。

 ようやく一軍に戻ってきたのはシーズン終盤。チームは優勝争いの真っ只中だった。鎌田は9月26日の中日戦で初先発。見事にプロ初勝利を挙げ、チームに貴重な白星をもたらした。1年目は結局この1勝だけに終わったが、胴上げに参加。ルーキーイヤーに最高の瞬間を味わった。

「ただ、即戦力で入ったのにシーズンを通じて貢献できなかったことが悔しくて。2年目は『もっと体を大きくしないと』と思ったんですよね」

 線の細さを克服するため、鎌田は食事量を増やし、筋トレにも励んだ。ところがそれが裏目に出る。いざキャンプインすると、思うように肩が回らず、納得の行くボールが投げられなかったのだ。

「その時、『ああ、自分は1カ月くらいじっくりと時間をかけて肩を作っていかないと投げられる状態にならないんだ』って初めて気づいた」という鎌田。オフにやるべきことは、筋トレよりもむしろ投げ込みだったのだ。

「大学時代は、そんなことは考えもしなかったです。プロに入ると、自分では努力したつもりでも、キャンプで満足な球が投げられないと『オフに何やってたんだ!』ということになる。もっと己のことを知るべきでした」

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