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「明日から2軍に行かせろ」初めての反論に星野仙一が激怒。山本昌が感謝する「9」厳しくもインパクト大の「1」の優しさ (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

【「1」の優しさのインパクト】

――普段は叱られながらも、しっかり評価してくれているという実感はありましたか?

山本 そうですね。どんなに調子が悪くても、1軍メンバーからは外されなかったですから。1989年に開幕から13試合勝ち星がなかった時も使い続けてくれました。同年は5月下旬の巨人戦でようやく初勝利を挙げて、7月上旬ぐらいまでトントン拍子で6、7勝した頃に、星野さんに聞かれたんです。「昌、オールスターゲームに出たいか?」と。中日は前年にリーグ優勝していたので、星野さんがセ・リーグの監督だったんです。

 僕は出場したことがなかったので出たかった。だけど、いざ出場選手が発表されたら、名前が入ってないんですよ。少し考えれば、監督の独断で選手を決められないのは当然ですが、期待をしてしまっていたので「なんだ......」と落ち込んで。そうしたら、数日後にヤクルトの尾花(高夫)さんが辞退して、僕が代わりに入ったんです。星野さんは、僕を「(オールスターに)出してあげたい」って感じだったんでしょうけど、どんな形でもそれが実現してよかったです。

 星野さんのご自宅での食事に招待してもらったこともありましたね。星野さんが1度目の中日の監督を退任して評論家をされている時に「お前ら、今日うちに来い」と。当時かわいがってもらっていた選手7、8人が呼ばれて、星野さんがしゃぶしゃぶを準備してくれたりして、恐れ多くもそれをいただきました。

――監督を退任されたあとも、山本さんをはじめ、中日の選手たちのことは気にかけてくれていたんですね。

山本 そうですね。1994年に沢村賞を獲れた時のことも忘れられません。同年は、僕とロッテの伊良部(秀輝)とで選考委員の意見が真っぷたつに割れていたんですけど、当時の選考委員だった星野さんが自分のことをプッシュしてくれたようです。

 星野さんから携帯に電話がかかってきて、直立不動で「はいっ!」と出ると、「お前、沢村賞獲ったぞ」と言われて。「えっ本当ですか?」って聞いたら、「バカヤロー、オレは選考委員だ。選考が今終わったんだ」と。

 あと、星野さんが阪神の監督をされている時に僕が通算150勝を挙げたんですけど、ある日、ナゴヤドームの監督室に呼ばれたんです。当時は敵のチームの監督でしたから、裏側を通って人目につかないように監督室に行ったら、「150勝おめでとう」と記念の時計をいただいて。

 ほかにも完封勝利を挙げた時にも時計をプレゼントしていただいたり、妻の誕生日に花束をいただいたりもしました。星野さんは「9」厳しくて、「1」すごく優しいという方ですが、その「1」のインパクトが大きいんですよ。

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