「明日から2軍に行かせろ」初めての反論に星野仙一が激怒。山本昌が感謝する「9」厳しくもインパクト大の「1」の優しさ
野球人生を変えた名将の言動(3)
山本昌が語る星野仙一 後編
(前編:星野仙一から「11月までアメリカにいろ」>>)
当時中日の星野仙一監督、ドジャースのオーナー補佐兼国際担当だったアイク生原のもと、チームを代表するピッチャーに成長した山本昌。その後の、数ある星野監督とのエピソードのなかから、特に印象的な出来事について語ってもらった。
2016年1月、引退記念パーティーで握手する星野仙一(左)と山本昌この記事に関連する写真を見る***
――グラウンドの内外で多くのエピソードがあると思うのですが、特に印象的だったことは?
山本昌(以下:山本) 僕が初めて星野さんに反論した時ですかね。阪神戦で新庄(剛志)くんにホームランを打たれて負けた試合です。
当時は、どんな球種を、どのコースに投げているかをスコアラーが記した「チャート」というものがあって、それがイニング毎に回ってきて閲覧できたんです。その試合で8回に新庄くんにホームランを打たれるんですけど、僕のなかでは「いいボールを、新庄くんが上手く打った」という解釈でした。キャッチャーの中村(武志)も「低めを上手く打たれた」と言ってくれたんですが、チャートでは打たれたコースが真ん中になっていたんです。
それを見た星野さんに、「なんで大事な場面で、ど真ん中に投げたんだ?」と言われたんですが、僕はど真ん中じゃないと思っていたので反論しました。そうしたら大変なことになりまして......。完投しながらも負けてしまったんですが、試合後に僕と中村が監督室に呼ばれて、バスタオル一丁の星野さんに2時間説教されました。
当時ヘッドコーチだった島野(育夫)さんも一緒に謝ってくれたんですけど、星野さんの怒りはおさまらなくて、夜の12時くらいまで怒られましたね。怒り心頭だった星野さんはマネージャーの方に「山本は明日から2軍に行かせろ。あんなやつクビにしろ」と言っていたようです(笑)。
――その後、どうなったんですか?
山本 あらためて翌日、スーツを着て星野さんのご自宅まで謝りに行きました。緊張しながら玄関チャイムを鳴らすと、出てきた星野さんは「何かあったか?」という雰囲気なんですよ。それで部屋に通されて世間話をしていたら、「今日からの東京遠征の準備はしてあるのか? 早く帰って用意しろ」と。クビにしろとまで言っていたのに(笑)。ユニフォームを着ている時と普段とでは、まったく違うんだなと思いましたね。
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