中日・石川昂弥に必要なのは村上宗隆流の育成法か。将来の「真の4番」へ打ちたい布石

  • 安倍昌彦●文 text by Abe Masahiko
  • photo by Koike Yoshihiro

 今から3年前の2019年秋、当時、東邦高校3年だった石川昂弥(たかや)は同校のグラウンドでバッティングに勤しんでいた。ドラフト直前にもかかわらず、3球団のスカウトたちが視察に訪れていた。この時期に担当スカウトが足を運ぶということは、つまり上位での指名が確実ということだ。

 事実、石川は中日、ソフトバンク、オリックスの3球団が「1位指名」で重複し、抽選の結果、中日が交渉権を得た。

将来の4番としての期待がかかる中日・石川昂弥将来の4番としての期待がかかる中日・石川昂弥この記事に関連する写真を見る 東邦高校での練習で石川は快打を連発していた。それでも石川はこう不満を漏らしていた。

「自分の一番いい打球はセンターから右中間方向に飛ぶんです。今日はいい打球がレフト方向に飛んでいる。今日はダメです......」

 その直前にはレフト定位置のはるか後方に飛ぶ120メートル級の大アーチを描き、その直後にもサードとショートが一歩も動けないほどの強烈な低弾道のライナーをレフトに放った。それでも一塁ベースを回り込んでから、ホーム付近に戻ってきた石川は苦渋の表情を浮かべていた。

「ダメだ......どうしてもヘッドが早い」

 高校生でここまで高い意識を持った選手を見たことがなかった。とんでもない打者になるのではないか......そんな期待が一気に膨らんだ。

【プロの体感スピードに苦しんだ2年】

「レギュラーを獲って、新人王を狙います」

 中日に入団した直後から、石川は当たり前のようにそう語っていた。

 だが、昨シーズンまでのプロ2年間はほぼファーム暮らし。1年目のキャンプで左肩を痛めて、7月に一軍昇格を果たしたが14試合の出場に終わり、期待された昨シーズンも勝負どころの夏場に差しかかる6月に死球で左尺骨を骨折する不遇もあったが、この2年間、ファームで放った本塁打はわずか6本と苦しんでいる。

 昨年の4月と5月にウエスタンリーグの試合を見たが、あれだけ大きく、悠然と構え、長いリーチをしならせるように柔らかく打っていた石川のバッティングが小さく見えて仕方なかった。

1 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る