「明日から2軍に行かせろ」初めての反論に星野仙一が激怒。山本昌が感謝する「9」厳しくもインパクト大の「1」の優しさ (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • Photo by Sankei Visual

【引退時、星野にかけられた言葉】

――節目でのエピソードをお聞きすると、山本さんにとって星野さんがいかに大きな存在であるかがわかりますね。

山本 100勝、150勝、200勝を達成した時も、僕が最初に連絡したのは星野さんでした。なかでも200勝の時はビックリしていましたよ。ヒーローインタビューを受ける前に少し時間があったので、星野さんに電話したんです。当時、星野さんは北京五輪の野球日本代表の監督をされていて合宿の最中。電話越しに、周囲にいた報道陣に「山本が200勝しました!」と報告していたのがわかりましたし、「よかった。これからだぞ」とも言われました。

 その後、引退の電話をした時は、その報告だとわかっていたんでしょうね。「本当によう頑張った。お前は野球が好きだったな。これだけ野球に世話になったんだから、野球のことだけを考えて生きていけ」と言っていただきました。それが、星野さんにかけられた最後の言葉です。

 その時に僕は泣いていて、返事をすることしかできませんでしたが、僕が一生懸命に野球をやっていたことを認めていただいてうれしかったです。星野さんにほめてもらえたこと自体がほぼ初めてでしたし、引退後について指南いただけたのも、その時が初めてでした。

――星野さんは、「この人のために頑張りたい」と思わせられる人ですか?

山本 喜ばせたくなるんですよね。いつも怒っているので(笑)。ただ、「喜んでもらいたい」という思いは、高木(守道)さん、それ以降の監督の方々に対してもずっと抱いていた思いではあります。

 恩人を挙げ出したらキリがありません。丈夫な体に生んでもらった両親にも感謝していますし、高木(時夫)スカウト、アイク生原さんもそう。いい縁に恵まれて、それを活かしてこられたなと思います。小学校、中学校で補欠の選手だった自分が、プロで32年も野球をやることができて、200勝できて、野球殿堂入りまですることができたのは、いいタイミングでいい方に出会えたから。それがなかったら、こんなにいい野球人生は歩めなかったでしょうね。

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