「ここで結果を出さなければただの恥さらしだ」元DeNA寺田光輝はプレッシャーを力に変えて医学部受験に挑んだ (3ページ目)

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu
  • photo by Sankei Visual

寺田 半分冗談ですけどね。でもそこから転向したんですよ。アンダースローに。すると、それが合っていたのか結果も出始めたんですよ。

石川 左投げからはじまって、上投げ、横投げ、下投げと全部やられたんですね。

寺田 はい。ただ、もう僕にプロとしての時間はないし、連続で打ち込まれたマイナスを覆すほどの活躍はほぼ絶望的でした。でもプロ野球選手になったからには、その職業をまっとうしなければいけない。この時期が一番きつかったです。悔しいという思いもない。できるなら逃げたい、辞めたい、苦しい......何もいいことがない。選手として終わっていることを自覚しているのに、プロという立場でいっさい手を抜かずにやる。指名されて、応援してくれる人たちがいる以上、そこには絶対に嘘をついちゃいけないと思っていたので。

石川 なるほど......では戦力外通告を受けた時は、ホッとしたという感じだったのですか。

寺田 そうですね。ホッとしました。あとは、お金をかけて獲ってくれたのに、活躍できず球団には申し訳ない......ですね。

石川 引退して、医者の道を選んだことには、幼少期のこと、そして現役の時にこれだけたくさんケガをしてきたことが影響しているんですかね。

寺田 そうですね。お医者さんと向き合う機会だけは多かったですから(笑)。そして、いい医者と悪い医者の差が激しいということを、身をもって経験しました。技術うんぬんじゃないんです。「人としてどうなの?」というお医者さんが結構いて、この先生に当たってしまった患者さんは本当に救いがないなと。何度もありましたよ。

石川 そうですね。筋肉が痛いだけなのに、たいした診察もせずひたすら注射を打ち続けて壊してしまったなんて話もよく聞きますから。

寺田 だから、本当にいいお医者さんに出会えた時のよろこびもわかるんです。僕も何度も助けられました。来る前には心細かったけど、診察室を出る時は元気になって前向きに帰っていけるような。僕はそういう医者になりたいんです。みんなを元気にしたいといったらおこがましいですけど、少なくとも僕を頼って来てくれた人だけでも、元気にしてあげたい。

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